全是有仇人(全てこれ有仇の人)(「妙園堂集」)
世界の評価なんて気にしててはいけませんよ、ね。
今日は医者に行って、今日から尿酸値の薬を飲むことになりました。頭がぼけーとしているのはそのせいかも。あるいは血圧のせいかも。

この世のみんなが敵なんだ! そういう気分の時、たまにあるよね!
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明の終りに近い萬暦年間のことです。
陳松、字・晩翠、別に六合散人と号した人は、河南・新野のひとである―――ということはわたし(肝冷庵にあらず)と同郷です。
少為諸生、有穎思。
少にして諸生と為り、穎思有り。
若いうちに生員(科挙の地方試験を受ける資格を持つ地方学校の学生)となり、試験を突破して出世しようという望みを持っていたらしい。
「穎」(えい)は穀物の穂先とか錐の先のことで、「穎脱」というと袋から錐の先っぽが出てしまうように、才能が表に現れることを言います。「穎思」は、錐の先っぽが袋から出てしまうように、才能を外に示したいという思い、特に、科挙試験でいい成績を修めようとすることを言います。
ところが、あるとき、
忽遇異人、絜之山中、若数十日始還。
忽ち異人に遇い、これを山中に絜して、数十日ばかりにして始めて還る。
突然、変な人に出会って、この人に山の中で教えられて、数十日ほどしてからやっと戻ってきた。
ということがあった。いわゆる「神隠し」のようなことに遭ったのです。
それ以来、
棄去挙子業不治、家亦益落。
挙子の業を棄て去りて治めず、家またますます落つ。
科挙受験のコースを棄て去って、勉強を止めた。もともと落ちぶれた家のひとだったが、さらに落ちぶれてしまった。
有一羊、酷愛之。俾墨奴手縻羊相随、招揺側牟而哦于市中。
一羊有りて、これを酷愛す。墨奴をして羊を手縻して相随わしめ、招揺(しょうよう)して側牟し、市中に哦(が)す。
一頭のヒツジを飼っていて、これをたいへん可愛がっていた。墨奴(いろぐろ下僕)という名前の下女に、いつもこのヒツジを引っ張らせて連れまわし、ふらふらと町中にやってきて、並んで「めー」と鳴いて、騒いでいた。
「牟」(む、ぼう)は「牛の鳴き声、モー」ですが、ここでは「(ドウブツが)鳴く」という意味に使っています。
別にそれで儲けるわけでもなし、何をしたいのかもよくわからん。しかし、ドウブツの鳴き真似をしたり、色黒とはいえ女を連れまわすとか、知識人としてはあるまじきことだ。怪しからん!
或聚観非誚之、不顧也。
或いは聚まり観てこれを非誚するも、顧みざるなり。
(知識人仲間は)集まってその姿を見て、批難し謗ったが、顧みることはなかった。
世俗から離れ、読書人のつきあいを捨てるという意思表示だったのでしょう。
生活が苦しいので、ある時、洛陽に行商に出かけた。寂れた旅館に泊まると、
四壁蕭寂、惟銀杏一樹、婆娑覆檐。
四壁蕭寂として、ただ銀杏一樹のみ、婆娑(ばしゃ)として檐を覆う。
部屋の中は何も無くて寂しく、ただイチョウの木が一本、ばさばさと軒を覆っていた。
まるでお化け屋敷の一室のようであった。
「こういう部屋には、貧乏神(窮神)がいるのだ」
と言い出して、
為詩告神。
詩を為りて神に告ぐ。
詩を作って(その部屋にいるであろう)貧乏神に祈りを捧げた。
その詩に曰く、
窮人促筆叩窮神、爾我不親誰是親。
窮人筆を促して窮神を叩く、爾と我と親しまざれば誰かこれ親しまん。
貧乏人が筆を無理に動かして、貧乏神に申し上げる。
貧乏神のおまえさんは、貧乏人のわしと仲良くしなければ、一体だれと仲良くするのかね。
除却清風与明月、眼前全是有仇人。
清風と明月を除却せば、眼前はすべてこれ、有仇の人なり。
清らかな風が吹き、きれいな月が今晩は見えるが、この二者を除くのほか、
この世の中にあらわれるのは、すべてわれらを敵にする者たちばかりではないか。
ああ! なんという真実。こんな本当のことを言ってしまっていいのでしょうか。
詩を書きつけると、
俄就寝。
俄かに就寝す。
すぐに寝てしまった。
すると・・・・
はい、続きはまた明日だよ。続きが聴きたいなら、ちゃんと飴買ってほしい、おじちゃんだって商売なんだから・・・と思ったが、飴買って損してまで聴きたい人はいません。本当のことなんか教えられても困りますしね。
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明・馬之駿「陳松伝」(「妙園堂集」所収)より。明日、か、またそのうちに続く。之駿は萬暦十六年(1588)の生まれ、萬暦三十八年の進士、戸部主事といいますから民部省の係長みたいな仕事につき、左遷されて地方に出て、また同じ戸部主事に戻ってきて、天啓五年(1625)、在官中に卒したそうです。
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