7月16日 18世紀には科挙官僚が世界一だったし

全是有仇人(全てこれ有仇の人)(「妙園堂集」)

世界の評価なんて気にしててはいけませんよ、ね。
今日は医者に行って、今日から尿酸値の薬を飲むことになりました。頭がぼけーとしているのはそのせいかも。あるいは血圧のせいかも。

この世のみんなが敵なんだ! そういう気分の時、たまにあるよね!

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明の終りに近い萬暦年間のことです。

陳松、字・晩翠、別に六合散人と号した人は、河南・新野のひとである―――ということはわたし(肝冷庵にあらず)と同郷です。

少為諸生、有穎思。

「穎」(えい)は穀物の穂先とか錐の先のことで、「穎脱」というと袋から錐の先っぽが出てしまうように、才能が表に現れることを言います。「穎思」は、錐の先っぽが袋から出てしまうように、才能を外に示したいという思い、特に、科挙試験でいい成績を修めようとすることを言います。

ところが、あるとき、

忽遇異人、絜之山中、若数十日始還。

ということがあった。いわゆる「神隠し」のようなことに遭ったのです。

それ以来、

棄去挙子業不治、家亦益落。

有一羊、酷愛之。俾墨奴手縻羊相随、招揺側牟而哦于市中。

「牟」(む、ぼう)は「牛の鳴き声、モー」ですが、ここでは「(ドウブツが)鳴く」という意味に使っています。

別にそれで儲けるわけでもなし、何をしたいのかもよくわからん。しかし、ドウブツの鳴き真似をしたり、色黒とはいえ女を連れまわすとか、知識人としてはあるまじきことだ。怪しからん!

或聚観非誚之、不顧也。

世俗から離れ、読書人のつきあいを捨てるという意思表示だったのでしょう。

生活が苦しいので、ある時、洛陽に行商に出かけた。寂れた旅館に泊まると、

四壁蕭寂、惟銀杏一樹、婆娑覆檐。

まるでお化け屋敷の一室のようであった。

「こういう部屋には、貧乏神(窮神)がいるのだ」
と言い出して、

為詩告神。

その詩に曰く、

窮人促筆叩窮神、爾我不親誰是親。

除却清風与明月、眼前全是有仇人。

ああ! なんという真実。こんな本当のことを言ってしまっていいのでしょうか。

詩を書きつけると、

俄就寝。

すると・・・・

はい、続きはまた明日だよ。続きが聴きたいなら、ちゃんと飴買ってほしい、おじちゃんだって商売なんだから・・・と思ったが、飴買って損してまで聴きたい人はいません。本当のことなんか教えられても困りますしね。

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明・馬之駿「陳松伝」(「妙園堂集」所収)より。明日、か、またそのうちに続く。之駿は萬暦十六年(1588)の生まれ、萬暦三十八年の進士、戸部主事といいますから民部省の係長みたいな仕事につき、左遷されて地方に出て、また同じ戸部主事に戻ってきて、天啓五年(1625)、在官中に卒したそうです。

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