可称詩狂(詩狂と称すべし)(「小窗自紀」)
一方、今日は観タマ無いんで楽ちんです。明日からはまた大変なんですが。

これが銘酒「春芳」か・・・
「へへへ、くもはちよ、何かいいもの飲んでいるようだな。おれにも回していただこうじゃねえか」
クモ以下の人間もいるのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
興酣落筆揺五岳、詩成嘯傲凌滄州。
興酣なわにして筆を落とせば五岳を揺るがし、詩成りて嘯き傲れば滄州を凌がん。
よっしゃー!といい気持ちが最高になったときに筆を紙に落として書き始めれば、中原の五つの山を揺るがしてしまう。
できたー!と詩が出来上がったので口笛吹いてえらそうにするとき、おれは仙界の滄州のやつらも見下す気分。
これと、
嘯起白雲飛七沢、歌吟秋水動三湘。
嘯けば白雲を起こして七沢を飛ばし、歌いて秋水に吟ずれば三湘を動かす。
ひゅうと口笛を吹いて白い雲を目覚めさせ、漢陽の七つの沢の上を飛んでいかせる。
ああと歌を秋の川のほとりで吟じると、湘水湘南湘北、一帯の水はうごめきだしてしまった。
これの
二聯可称詩狂。
二聯、詩の狂と称すべし。
二つの対句は、「詩の狂人」と呼ばれるべきだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・
明・呉従先「小窗自紀」第六七則。もっと変なのあると思いますが、この二つは相当変です。漢字の「誕」、誇大妄想なんです。
試みに、両方とも全体を書き出してみます。
あ)江上吟(川のほとりのうた)(唐・李白)
木蘭之枻沙棠舟、玉簫金管坐両頭。
木蘭の枻(かじ)、沙棠(さとう)の舟、玉簫金管、両頭に坐す。
香りよい木蘭製のかじを横たえた、香りよい沙棠の木で作られた小舟に、玉のたて笛、黄金のよこ笛を置き、あなたと二人で座っている。
美酒樽中置千斛、載妓随波任去留。
美酒樽中に置くこと千斛、妓を載せ波に随い去留を任す。
美酒は樽の中にあってその量は千斛(文字通りだと6万リットル)、うたひめを載せたまま、行くも帰るも波に任せた。
仙人有待乗黄鶴、海客無心随白鴎。
仙人待つ有りて黄鶴に乗じ、海客は心無くして白鴎に随う。
むかし、仙人はするべきことを為し終えて黄色い鶴に乗って天に去ってしまったといい、また海辺のひとは無心で白いカモメと戯れたという。
少しでも機心(なんとかしてやろうという気持ち)を持つとカモメは逃げて行ってしまうんだ、と「荘子」に書いてあります。
屈平辞賦懸日月、楚王台榭空山丘。
屈平の辞賦は日月に懸け、楚王の台榭は山丘に空し。
戦国末期の、屈原の文章は太陽や月と並べられて永遠に残っているが、巫山の女神(のような女性)としっぽり行こうとした楚王の宮殿は、いまや山中に跡形もない。
文学の力は大きいのである。
おれは、それを持っているのだ! むうううう、興奮してきましたぞ!
興酣落筆揺五岳、詩成嘯傲凌滄州。
興酣なわにして筆を落とせば五岳を揺るがし、詩成りて嘯き傲れば滄州を凌がん。
(上述部分)
功名富貴若常在、漢水又応西北流。
功名富貴もし常在せば、漢水また応じて西北に流れん。
もし名誉や財産や身分がいつまでも保持できるものだったなら、(目の前を東南に流れていく)漢水の流れも、西北に向きを変えるだろう。
そんなことはあり得ない。だから、今このときに好き放題にすべきなのだ。
もう一つは、
い)自漢陽病酒帰、寄王明府(漢陽から二日酔いで帰ってきて、賢い王知事のもとへ)(唐・李白)
去歳左遷夜郎道、瑠璃硯水長枯槁。
去歳左遷せられる夜郎の道、瑠璃の硯水、長(とこ)しなえに枯槁せり。
去年は、(安禄山の乱への対応に失敗してしまい)皇帝のお叱りを受けて雲貴高原の奥、いにしえの夜郎の国に流されて行くことになって、おれのガラスのような硯の水は永遠に枯れはててしまって詩が書けなくなったかと思っていた。
だが、
今年勅放巫山陽、蛟龍筆翰生輝光。
今年勅放さる巫山の陽、蛟龍の筆翰、輝光を生ず。
今年、巫山の麓まで来たところで、皇帝からのありがたいご連絡があって解放され、持ち歩いている水龍のような羽毛の筆から光が生じ、詩が書けるようになったのだ。
ああ、ありがたいなあ。
聖主還聴子虚賦、相如却与論文章。
聖主また「子虚の賦」を聴かせたまい、相如却ってともに文章を論ず。
皇帝陛下は前漢の武帝のように、大詩人・司馬相如の「子虚のものがたり」にまた耳をお傾けになって、作者の相如(のようなわし)は、戻ってきて陛下とともに文章について語りあえることになったのだ!
だいぶん文飾があります。解放されてどこに行ってもいいことになっただけで、衣食住も保証されないし、そんなに大事にしてもらえるわけではありません。
でも、まあ、いいではありませんか。
願掃鸚鵡洲、与君酔百場。
願わくば鸚鵡の洲を掃い、君とともに百場を酔わんことを。
いまの願いは長江下流・楊州のオウム中洲をきれいに掃き清め、おまえさんと一緒に百回酔っ払いたいということじゃ。
嘯起白雲飛七沢、歌吟秋水動三湘。
嘯けば白雲を起こして七沢を飛ばし、歌いて秋水に吟ずれば三湘を動かす。
(上述部分)
莫惜連船沽美酒、千金一擲買春芳。
惜しむ莫かれ船を連ねて美酒を沽(か)い、千金も一擲して「春芳」を買わん。
けちってはいかんぞ、二隻の船を並べていい酒を買おう、千万円ぐらいいっぺんに投げうって、銘酒「春芳」を入手しよう。
全体を引いてみると説明が多くて「狂」というほどでもないような。上の「江上吟」の方が興奮が破裂しててよいかも知れません。どちらも「詩聖」李白でした。確かにこんなのは、他のひとは恥ずかしくて書かないですよね。呉従先はおそらく「詩聖」を「詩狂」とひねっているんだと思います。
SNSに対抗するのは「戸別訪問」だと思いますが、マスメディアは自分たちの管理下になくなるから否定的でしょう。候補者もイヤでしょうね、イメージだけでやれなくなるからね。
コメントを残す