土衰之験(土衰の験なり)(「宣室志」)
この人は何故こんなに自信にあふれていたのであろうか。自信があれば、主張は通るのだ。見習いたいものである。

「亡びる」とか不吉なこと言って当たっちゃったらどうするんだよー。こわいよー。
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唐の時代、長安の新昌里に尚書の温造の邸宅があり、この家に桑某という書生が居候していた。
庭有一栢樹甚高。
庭に一栢樹の甚だ高き有り。
「栢」は「柏」の本字で、わが国では「かしわ」のことですが、チャイナではひのきなどの常緑樹をいいます。でもめんどくさいのでここは「かしわ」ということでいきます。
その家の庭には、やたら背の高い柏の木が一本あった。
ある時、桑生は温家の家人たちに言った、
夫人之所居、古木蕃茂者皆宜去之。且木盛則土衰、由是居人有病者。乃土衰之験也。
それ、人の居るところは、古木の蕃茂するもの、みなこれを去るべきなり。かつ、木盛んなれば土衰え、これによりて居人に病者有り。すなわち土衰の験なり。
「さて、人間の住むところに、古い木が繁茂していたら、(生活の邪魔になるから)すべて取り去ってしまうべきなのだ。それに、木の精が盛んだと(五行の考えかたで「木」に殺される立場にある)「土」が衰えてしまう。すると、生命の基礎が弱ってしまって、住人に病人が出るものなのだ。これが、「土の衰えによる効果」というものだ」
「たしかに思い当たる節が・・・」
この時、温家には病人があった。そこで、桑生にどうすればいいか訊いた。
「五行の「木」の精を弱らせればいい。「木」を殺すのは「金」だから、金属によって「土」を力づけるべきなのだ」
「なるほどなあ」
説得力のある対処方にみな感心した。
以鉄数千鈞鎮於栢樹下。
鉄数千鈞を以て栢樹の下に鎮す。
「一鈞」は古代だと「三十斤」に換算されますが、唐代だと「一斤」のことを「一鈞」と書くので、「斤」のことだと解釈しておきます。当時の一斤は約600グラム、ということは、「数千鈞」は1200~1800キログラムでしょうか。相当な量です。
1~2トンの鉄を、庭の柏の木の下に埋めて、「木」の精の抑えにした。
桑生は言った、
「これでよし、と。
後有居者、発吾所鎮之鉄、則其家長当死。
後に居者の、吾が鎮するところの鉄を発すれば、その家長まさに死すべし。
今後、住んでるひとが今回埋めた「抑え」の鉄を掘り出したら、その時のその家の主人は死んでしまうだろうから、気をつけないとな。」
ところが、しばらくすると、温造自身も、病人が出るなど宅地の構造が悪いのではないかと気にし始め、専門家を呼んで相談した。
因修建堂宇。
因りて堂宇を修建せんとす。
その結果、建物を直したり新たに建てたりすることにした。
その際、庭に掘り返した後があることに気づき、家人に問うに、桑生の進言で鉄を埋めたという。
「桑某が? 彼は何に基づいてそんなことを言ったのだ?」
それは家人たちの知るところではなかった。また、桑生は鉄を埋めて数日するといなくなってしまっており、その行方もわからない。
「理由もわからないのではしようがない。ムリに頭から否定する必要もないが・・・」
温造は、
発地営繕、得其所鎮之鉄。
地を発して営繕するに、その鎮するところの鉄を得たり。
地面を掘り起こして建築物の修繕をはじめたが、その過程で埋めた鉄を発見した。
かなりの量である。
「こんなに埋めたのか。ちょうどよいからこの鉄を建物の建材に使おう」
鍛冶屋に預けて諸材料に鋳なおしさせたが、その鋳なおしの済まないうちに、
造果卒。
造、果たして卒す。
温造は、ほんとに死んでしまった。
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唐・張讀「宣室志」巻一より。何の根拠があったのかなかったのか、偶然だったのか必然だったのかもわからないのですから恐ろしい。まあでも、だいたいみなさんも、今日も明日も何の根拠も無くやっているのだから、こんなものか。どこかで致命的なのを掘り出してしまわなければ、なんとかやっていけるかも。
しかし行政官の人は厳しいみたいですが、でも、そのような改善の経験を他国と共有して発信するようなゆとりや能力があるのなら、大丈夫ですよ。できるんなら。
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