邑北邙(邑の北邙)(「明語類」)
東京はお盆ですから、そろそろ怪談でゾゾ―ッといきたいもんでやんすね。

お呼びかい?
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洛陽の北の山地に洛陽市民のお墓があり、これを「邙山」(死者の山)と呼んだ。もとは洛陽の固有の地名なのですが、他の町にも北側に墓山があると、みな洛陽の有名な「邙山」に因んで、「北邙」と呼んでいたようです。
徐禎卿(昌谷)は、明代、蘇州の人、秦や漢の時代の文学に戻ろうと唱えた「前七子」の一人です。
その徐禎卿は、
構別墅于邑北邙。前後冢累累。
別墅を邑の北邙に構う。前後、冢累累たり。
町の北山に別荘を持っていた。そのあたり、見渡すかぎりお墓であった。
訪ねて来た友人が「顰蹙」(ヒンシュクは「眉をしかめる」意)して言った、
目中見此、使人不楽。
目中これを見、人をして楽しまざらしむ。
「みわたす限りこれ(はっきり言うと不吉なので代名詞にしたのでしょう)ばかり。どうも憂鬱な気持ちになってしまうではないか」
「わっはっはっは」
徐笑。
徐笑う。
徐禎卿は大笑いした。
不然、目中見此輩、乃使人不敢不楽。
然らず、目中にこの輩を見る、すなわち人をして敢えて楽しまずんばあらざらしむ。
「そんなことはない。みわたす限りこいつらばかり。そうなったら、今のうちは楽しまないではいられない、ということになるだろう」
「なーるほど」
死者を「此の輩」と仲間扱いしているのが斬新ですね。
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清・呉粛公「明語林」巻八「豪爽篇」より。メメント・モリ(死を忘るるなかれ)。確かに仲間ならあちらの要望も聴かないといけません。こちらで大騒ぎしたいかも知れませんし、「ひっひっひ」と連れに来るかもしれません。どうせなら、どこか涼しいところに連れて行ってくれるといいですね。
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