世事無知(世事知る無し)(「河上肇詩注」)
今日は涼しくてよかった。耳が遠くなってきて困っております。別に人と会話しないから耳遠くてもいいんですが。え? なに? なんとかファスト? 早く(彼岸や田舎などへ)行けとおっしゃるか。

カッパでカッパ。勝っているときには景気悪いこというなでカッパッパー。(実際にはもうミッドウェーで負けてますが)
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この詩がそんなにいいとは思わないんです。しかし、似た境遇(年齢と耳の状態だけですが)にあって、自分の言いたいことを代わりに言ってくれてるみたいなので、引用させていただきます。
生民救死不遑時、何意悠悠独賦詩。
生民死を救うに遑(いとま)あらざる時、何の意ぞ悠悠として独り詩を賦す。
民草たちが自分を死から救い出そうとヒマ無く働いているこの時に、
どういうことですか、ゆうゆうとひとり詩を作っているのだ、わたしは。
休怪衰翁六十四、耳聾世事久無知。
怪しむを休(や)めよ、衰翁六十四にして、耳は聾し世事久しく知る無きを。
そんなことあるはずない、などと思いなさるな。この衰えたじじいめは、六十四歳じゃ、
耳は遠くなったし、世間の事はもう長いことよくわからんのじゃ。
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本朝・一海知義「河上肇詩注」より。「昭和十七年七月十五日」とあるので、今日から二三日後の暑い日に書いたのでしょう。
九月の二十五日になると涼しくなったみたいで、
平生最所愛、迢迢雲外鐘。
平生最も愛するところ、迢迢たる雲外の鐘。
普段から一番好きだったのは、遥か彼方の雲の向こうから聞こえてくるお寺の鐘であった。
だが、
一日聾一日、清音又難逢。
一日、一日より聾し、清音または逢い難くなりき。
一日ごとに前の日より耳が聞こえなくなってくるので、あの清らかな音に聞き入ることはもう無いのであろう。
それにしても、
今夜天如洗、風露秋意濃。
今夜は天洗うが如く、風露秋意濃し。
今夜の空はまるで洗ったかのように清々しく、風にも露にも秋の雰囲気が濃密である。
仰月臥南牖、一牀聴砌蛩。
月を仰いで南牖(なんゆう)に臥し、一牀に砌蛩(せいきょう)を聴く。
月を見上げながら南の窗の下に寝転がって、ベッド一つで石だたみのコオロギの声を聴いているのだ。
あと二か月もするともう寒くなってきていることでしょう。まだかな。
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