7月10日 夕方からかっこいい雷雨になりました

是天助我(これ、天の我を助くるなり)(「淮南子」)

昼間は暑かったけど、天が怒って雨降らせたので涼しくなりました。ああもう秋が来ると思います。夏と争わないうちに夏に勝ったのだ。

祈れば助けてもらえる・・・かも。まずは居場所をつくろう。

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前五世紀の前半のころのことでございますが、晋の実力者である趙簡子が亡くなってまだその葬儀もすまない時、晋の属邑である中牟(ちゅうぼう)が斉に所属する旨を宣言した。

簡子の葬儀を終えて五日後、後継ぎの趙襄子が

起兵攻囲之。未合而城自壊者十丈。

当時の一丈≒2.25メートル。

これを見て、

「よし!」とばかりに、

趙襄子撃金而退之。

じゃーん、じゃーん、じゃーん。

「ちょっと待ちなはれ」

軍吏諫曰、君誅中牟之罪、而城自壊、是天助我。何故去之。

と。

趙襄子は言った、

吾聞之叔向、曰、君子不乗人於利、不迫人於険。

と。

そして、

使之治城、城治而後攻之。

中牟聞其義、乃請降。

故老子曰、夫唯不争、故天下莫能与之争。

「老子」第66章は、先代の肝冷齋が平成30年11月4日に解説しているみたいです。

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「淮南子」巻十二「道応訓」より。やっぱり老子は実務に役立つなあ。これからの戦国時代には、きれいごとばかり言って礼儀のような面倒なものを守らせようとしてくる儒家ではダメだな。防衛戦争に役に立つ「墨子」や内政の考え方を統一できる「法家」もいいけど、やはり基本は現実的な指針になる老子の学だ。これは間違いない。

このあと前漢のはじめごろまでの思想界はこんな考え方です。

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