今夕何夕(今夕は何の夕ぞ)(「姚現聞清閟十二種」)
暑い。今日は体力どんどん取られるレベルの暑さでした。明日は涼しくなる。はずです。君ならできる、期待している。

岩手サ、ければ涼しいかも。気持ちの持ちようで。
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涼しくなったつもりで書きます。
・・・涼しくなってきました。ああもう秋だなあ。わたしはある山寺に泊まった。
是夜既望、天漢澄鮮。
この夜、既望、天漢澄鮮なり。
今晩は、望月の翌日、十六夜です。月もまだ明るいが、澄み切った秋空に天の川が鮮やかだ。
散歩してみます。
出殿門、望絶壁、樹影交加、葱蘢無際、月光穿竇、流暉射人。
殿門を出づるに、絶壁を望み、樹影交加して、葱蘢(そうろう)際無く、月光竇を穿ちて、流暉人に射す。
「葱蘢」(そうろう)は「ネギ」と「イヌタデ」なんですが、あんまり気にせずに「草」ということでいいと思います。
裏門を出ると目の前には崖があり、木々の影が交叉し、どこまでも草が広がっている。月の光が木々の枝の間の穴を穿つように射しこみ、われわれを射抜くかのようだ。
右手の丘に登ると木々はさらに密に繁り、月は隠れてしまった。手探りになりながら、
返歩渓辺、松針篩月、半明半滅、倐来倐往。
渓辺に返歩すれば、松針月を篩い、半ば明にして半ば滅し、倐(しゅく)として来たりて倐として往く。
谷川の方に戻ってみると、針のような松葉が月光を篩にかけて、明るいところ暗いところが半々になり、一瞬光があったかと思うと一瞬にして消えてしまう。
移数武、至樹豁処、四望作玻璃城。
数武を移せば、樹の豁処に至り、四望するに玻璃城を作す。
数歩移動したところに、木の無い開けたところがあって、ここまで行って四方を見ると、(明るい光の中、)まるでガラスの城にいるようだ。
跬歩咫尺、千容百態。乃知月色不可無林薄。然非疎密相間、未献其玲瓏也。
跬歩(ちほ)咫尺(しせき)にして千容百態す。すなわち知る、月色は林の薄き無くしては不可なれども、然るに疎密の相間するに非ざれば、いまだその玲瓏を献ぜざるなり、と。
「跬」(ち)は「片方の足」「半歩」です。「咫」(し)は八寸。明代だと24,8センチぐらい。
半歩か一歩、25センチか31センチぐらい動くだけで、千の様子、百のすがたに変化する。そこで、はじめて知った。月の光は林の薄いとこでないと感知できないのだけど、しかし、木々のまばらのところと密生したところが交互にあるのでなければ、光り輝く玉のような色を見せることは無いのだ、と。
しばらく外にいたからか、僧が一人、心配して迎えにきた。わたしが月光のすばらしさを語ると、彼が言うには、
積雪時、琪林玉樹、非復人世所有。
積雪の時、琪の林、玉の樹、また人世の有するところに非ず、と。
「雪が積もりましたときは、玉帯のような林に珠玉の木に見え、それこそ人間世界にあってはならないものかと思いますなあ」
ひっひっひ。
うらやましいことだ。
余安得長年坐臥其下、歴四序之変耶。
余、いずくんぞ長年その下に坐臥して、四序の変を歴するを得んや。
わたしは、どうすれば、長い年月の間、この木々の下に座ったり寝たりして、四季の変化を経験することができるだろうか。
夜将半、方闔戸寝、紙窗皎然、素魄半床、盤中新摘香櫞、清芬送枕畔。
夜まさに半ばならんとし、まさに戸を闔(と)ざして寝ねんとするに、紙窗皎然として、素魄床に半ばし、盤中の新摘の香櫞、清芬を枕畔に送れり。
夜が更け、もう戸を閉めて寝ようとするのだが、窗に張った紙はまだ月光で輝き、白い影がベッドの半ばまでを占めている。部屋にはおおざらの中に、今日摘んだばかりの香り草が入れられていて、そのすがすがしい香りが枕元まで流れて来る。
不知今夕何夕矣。
知らず、今夕は何の夕べなる。
まったく、今夜はどういう夜なんだろうか。
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明・姚希孟「包山寺記」(「姚現聞清閟十二種」所収)より。姚季孟は江蘇・呉県のひと、萬暦四十七年(1619)の進士、字・孟長、現聞道人と号す。翰林編修など要路にありましたが、晩明の政争の中でクビになって(「士籍」を剥奪されて人民に格下げされました)、崇禎年間にもう一度呼び出されますが久しからずして病により帰家して卒す。時に崇禎九年(1636)、五十八歳であった。六年後には明が滅亡します。
基本的にはマジメな世界の人なんですが、いかにも晩明の文人らしく、こんな抒情的な文章を書きます。チャイナの知識人なんで、どうしてもちょっと理屈っぽいですが。ただの人民になったのであんまり考えることが無くなって気分よかったのかも。
十二も考えなければならないことがある仕事もあるようです。現場の人でないと十二番目が一番わからない。でもこれ、他の仕事のひとも参考になると思いますよ。
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