7月8日 ああ涼しいなあ、心頭滅却したゆえに

今夕何夕(今夕は何の夕ぞ)(「姚現聞清閟十二種」)

暑い。今日は体力どんどん取られるレベルの暑さでした。明日は涼しくなる。はずです。君ならできる、期待している。

岩手サ、ければ涼しいかも。気持ちの持ちようで。

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涼しくなったつもりで書きます。

・・・涼しくなってきました。ああもう秋だなあ。わたしはある山寺に泊まった。

是夜既望、天漢澄鮮。

散歩してみます。

出殿門、望絶壁、樹影交加、葱蘢無際、月光穿竇、流暉射人。

「葱蘢」(そうろう)は「ネギ」と「イヌタデ」なんですが、あんまり気にせずに「草」ということでいいと思います。

右手の丘に登ると木々はさらに密に繁り、月は隠れてしまった。手探りになりながら、

返歩渓辺、松針篩月、半明半滅、倐来倐往。

移数武、至樹豁処、四望作玻璃城。

跬歩咫尺、千容百態。乃知月色不可無林薄。然非疎密相間、未献其玲瓏也。

「跬」(ち)は「片方の足」「半歩」です。「咫」(し)は八寸。明代だと24,8センチぐらい。

しばらく外にいたからか、僧が一人、心配して迎えにきた。わたしが月光のすばらしさを語ると、彼が言うには、

積雪時、琪林玉樹、非復人世所有。

ひっひっひ。

うらやましいことだ。

余安得長年坐臥其下、歴四序之変耶。

夜将半、方闔戸寝、紙窗皎然、素魄半床、盤中新摘香櫞、清芬送枕畔。

不知今夕何夕矣。

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明・姚希孟「包山寺記」(「姚現聞清閟十二種」所収)より。姚季孟は江蘇・呉県のひと、萬暦四十七年(1619)の進士、字・孟長、現聞道人と号す。翰林編修など要路にありましたが、晩明の政争の中でクビになって(「士籍」を剥奪されて人民に格下げされました)、崇禎年間にもう一度呼び出されますが久しからずして病により帰家して卒す。時に崇禎九年(1636)、五十八歳であった。六年後には明が滅亡します。
基本的にはマジメな世界の人なんですが、いかにも晩明の文人らしく、こんな抒情的な文章を書きます。チャイナの知識人なんで、どうしてもちょっと理屈っぽいですが。ただの人民になったのであんまり考えることが無くなって気分よかったのかも。

十二も考えなければならないことがある仕事もあるようです。現場の人でないと十二番目が一番わからない。でもこれ、他の仕事のひとも参考になると思いますよ。

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