正中要害処(正に要害の処に中る)(「牛氏紀聞」)
それぐらいでは立ち直れず、マジメな本読む気にならないんです。

要害のところを守ることが必要でポン。今の与党は経〇連ばかり守って言いなりだからみんな許さ(ぶち。文福茶釜との回線切れる)
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唐の時代のこと、四川・唐昌の県令・王悦は、
殺録事李之、而不辜。
録事・李之を殺すも、辜ならず。
司法係長の李之(り・し)を殺してしまったが、無実の罪であった。
しかし、田舎には県令の不法を指摘する人もいないので、「中央にバレなければいいか」と思っていました。
ところが、王悦は知らなかったんですが、
之、既死、長子作霊語、曰、王悦不道、枉殺予、予必報。
之、既に死して、長子霊語を作し、曰く、「王悦不道にして予を枉殺す。予必ず報うべし」と。
李之が死んだ後で、その長子が突然霊の言葉をしゃべりだした。
「王悦は没義道にも法律を曲げてわしを殺しおった。わしは必ず報復するからな」
其声甚厲。
その声、甚だ厲なり。
その声は、はなはだ不気味であったという。
数日後、悦、昼坐庁事、忽拳殴其腰。聞者殷然、驚顧無人。
数日の後、悦、昼庁事に坐するに、忽ち拳にてその腰を殴らる。聞者殷然として、驚て顧みるも人無し。
それから数日後、王悦は昼間、県庁の正堂に座って政務を行っていた。その時、突然、誰かにこぶしで腰のあたりを殴られた。大きな音がしたので、多くのひとびとがその音を聞いて、驚いてそちらを見たが、誰も人影はない。
既暮、撃処微腫焉、且痛。
既に暮れ、撃処微かに腫れ、かつ痛し。
その夜半、殴られたところが腫れだし、しかも相当痛くなってきた。
また、同じ日、
李之男又言曰、吾已撃王悦、正中要害処、即当殺之。
李之の男また言いて曰く、吾すでに王悦を撃ち、正に要害の処に中(あた)れば、即ちまさにこれを殺すべし、と。
李之の息子はまた(トランスにおちいって)話し始めた、
「わしはすでに王悦をやっつけた。やつの「急所」に正確に当たっているから、まもなくやつは死ぬぞ」と。
悦疾甚、則至蜀郡謁医、不瘉。
悦疾甚だしく、すなわち蜀郡に至りて医に謁するも、瘉えず。
王悦は体調が急激に悪化してきたので、四川の省都・蜀郡まで出かけて医師に診てもらったが、治らなかった。
未死之前日、李之命其家造数人饌、仍言曰、吾与客三人至蜀郡録王悦、食畢当行。
いまだ死せざるの前日、李之、その家に命じて数人饌を造らせしめ、仍(よ)りて言いて曰く、「吾と客三人、蜀郡に至りて王悦を録す、食畢ればまさに行くべし」と。
王悦がまだ死んでいなくて、蜀郡で治療中であった時、また李之の霊が、その家人たちに数人分の料理を用意しろ、と言ってきた。ついで言うには、「これからわしと三人の客人で、省都の蜀郡まで出かけて王悦を逮捕するんじゃ。メシを食い終わったら出かけることにしよう」と。
明日、而悦死。
明日(みょうにち)、悦死せり。
この次の日に、王悦は(腰の腫れ物が潰れて)死んだのである。
悦腫潰処、正当右腎。
悦の腫の潰するところは、まさに右腎に当たれり。
王悦の腫れ物が潰れたところは、ちょうど右のキンタマのところであった。
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唐・牛粛「紀聞」巻四より。キンタマは大事にしないといけません。出かける前にはメシを食っていかなければなりません。不当に部下を殺してはいけません。殺さなくてもパワハラで追い込むやつは、やられると思います。後で集まってくれるように付き合いましょう・・・マジメでない稗史小説の類ですが、本当のことを言うと怒られるかも知れない、たとえ話で言うしかないのですから、寓言として学ぶべきことはあるのではないだろうか。
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