難以飽吾飢(以て吾が飢を飽かしめ難し)(「象山先生詩抄」)
わたしども年寄は内臓脂肪がついて、いつもおなかに膨満感があるんですが、それでも腹いっぱい食ってしまいます。腹八分目とかできない。ほんとに申し訳ない。
人間だけでなく、でかい魚も腹いっぱい食いたいらしいです。

この暑さでは、土用のウシの日まで、ウナギが食べられるような食欲があるはずない。もう遠慮しておきます。全勝さんたちが教えた若い人はがんばってくれると思います。
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「荘子」(逍遥游篇)にいう、
北冥有魚、其名為鯤。鯤之大、不知其幾千里也。
北冥に魚有り、その名を鯤(こん)と為す。鯤の大なる、その幾千里なるやを知らず。
北の暗い海に魚がいる。
その名は鯤。
鯤の大きさは、それが何千里(この時代は一里≒400メートル)あるか、わからない。
と。
わたしはいま歌う、
有魚在北冥、長大絶其夷。首尾各萬里、世人何得知。
魚、北冥に在る有り、長大その夷を絶す。首尾おのおの万里、世人何ぞ知るを得ん。
北の暗い海にいる魚があって、長くてでかくて普通ではない。頭の方が一万里、しっぽの方が一万里、普通の人には想像することもできまい。
煦成天下雨、怒作天下墜。掀翻揚波浪、列宿為蔽虧。
煦(く)すれば天下に雨ふらし、怒れば天下に墜を作す。掀翻(きんほん)すれば波浪を揚げ、列宿もために蔽虧(へいき)す。
(この魚が)おだやかでいれば天下に雨を降らせ、怒れば土砂を降らせるのだ。持ちあがってひっくりかえれば波が起こり、天空の星座もそのために隠されたり欠けてしまったりする。
身大海猶浅、時時見其鰭。
身大にして海なお浅く、時時にその鰭を見(あらわ)す。
体がでかすぎて、海でさえ浅いぐらいなので、ときどきそのヒレが海上に出てしまい、それで我々にも彼がいることがわかるのだ。
それにしても、
長鯨数有限、難以飽吾飢。託生未得所、何許是天池。
長鯨も数に限り有れば、以て吾が飢えを飽かしむるに難し。生を託するにいまだ所を得ず、何れのところかこれ天池ならん。
(その魚がエサにしている)巨大なクジラだって数に限りがあるのだから、おれはいつだって腹いっぱいには食えないのだ。(←魚が自分になりました)
このおれはいったい、どこで生きていけばいいのか、どこかに広大な天の池はあるのだろうか。
でかく出ました。えらく自信過剰の勝海舟みたいな人ではないか。いったいおまえは誰だ?
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本朝・佐久間象山「擬古」(古に擬す。「むかし風の詩」)(「象山詩抄」より)。幕末明治の日本人の詩を選んだ清・兪樾「東瀛詩選」巻二十一を閲するに、佐久間永世、号象山は南総の人(←これは間違い、信州です)、
精於泰西之学、・・・当嘉永時、坐吉田義卿事下獄。読獄中諸作、忠義之気溢於言外。其泄泄八章、尤令人長太息也。
泰西の学に精にして、・・・嘉永の時に当たりて、吉田義卿の事に坐して下獄す。獄中の諸作を読むに、忠義の気、言外に溢る。その「泄泄」(えいえい)八章、尤も人をして長太息せしむ。
欧米の学問に詳しかった。・・・嘉永年間に、吉田松陰の事件に連座して獄に下された。獄中での諸作品を読むと、忠義の心がコトバの外に溢れ出している。特に「泄泄」という八連の詩は、読んだ人に長いためいきをつかせることであろう。
というので、「ほんとかなあ」と、「泄泄八章」を見てみます。
一)我艦未牢、我壁未矗、将者泄泄、蛮方孔棘。
我が艦はいまだ牢ならず、我が壁はいまだ矗(ちく)ならず、将者は泄泄(えいえい)、蛮方孔(おおい)に棘(せま)れり。
「泄泄」(えいえい)はたくさん居並んで、主君のために競い合おうとしている様子。
我が国の艦船はきっちりとできあがっていない。我が国の防壁はまだ立っていない。将軍たちはみな競い合い、今や野蛮人たちがたいへん緊急の問題である。
二)艦之未牢、猶可治之。壁之未矗、猶可為之。将者泄泄、云如之何。
艦のいまだ牢ならざるは、なおこれを治すべきなり。壁のいまだ矗ならざるは、なおこれを為るべきなり。将者の泄泄たる、これを如何せん。
艦船がきっちりできていないのは、修理すればいいだろう。防御壁が立ち上がっていないのは、造り上げればいいだろう。しかし、将軍たちが競い合っているのは、どうすればいいのだろうか。
三)積薪如陵、火発于下、載笑載言、晏然以処。
積薪は陵の如く、火は下に発し、すなわち笑いすなわち言い、晏然として以て処す。
積み上げた薪木は丘のようで、その下からもう火は広がり始めている。それなのに、その上で笑ったり、おしゃべりしたり、安らかに暮らしているのだ、今のおれたちは!
四)匪風飄揚、匪瀾澎湃、念彼神京、寤歎有愾。
風の飄揚たるにあらず、瀾の澎湃たるにあらず、彼の神京を念えば、寤(さ)めて歎ずるに愾あり。
(おれの心は)吹きあがる風でなない。荒れ狂う波ではない。だが、天皇のおられる京都のことを思えば、いつもためいきをついてしまう。
くせはあるけど、兪樾先生のいうとおり、なかなかいいではありませんか、あと四行・・・ですが、明日まだ金曜日だということに気づきました。また今度にしておきます。今日はあぶく銭ができたから、明日はうなぎでも食べようかな。うっしっし。
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