7月3日 若いひとたちはがんばっているのに

難以飽吾飢(以て吾が飢を飽かしめ難し)(「象山先生詩抄」)

わたしども年寄は内臓脂肪がついて、いつもおなかに膨満感があるんですが、それでも腹いっぱい食ってしまいます。腹八分目とかできない。ほんとに申し訳ない。
人間だけでなく、でかい魚も腹いっぱい食いたいらしいです。

この暑さでは、土用のウシの日まで、ウナギが食べられるような食欲があるはずない。もう遠慮しておきます。全勝さんたちが教えた若い人はがんばってくれると思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「荘子」(逍遥游篇)にいう、

北冥有魚、其名為鯤。鯤之大、不知其幾千里也。

と。

わたしはいま歌う、

有魚在北冥、長大絶其夷。首尾各萬里、世人何得知。

煦成天下雨、怒作天下墜。掀翻揚波浪、列宿為蔽虧。

身大海猶浅、時時見其鰭。

それにしても、

長鯨数有限、難以飽吾飢。託生未得所、何許是天池。

でかく出ました。えらく自信過剰の勝海舟みたいな人ではないか。いったいおまえは誰だ? 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

本朝・佐久間象山「擬古」(古に擬す。「むかし風の詩」)(「象山詩抄」より)。幕末明治の日本人の詩を選んだ清・兪樾「東瀛詩選」巻二十一を閲するに、佐久間永世、号象山は南総の人(←これは間違い、信州です)、

精於泰西之学、・・・当嘉永時、坐吉田義卿事下獄。読獄中諸作、忠義之気溢於言外。其泄泄八章、尤令人長太息也。

というので、「ほんとかなあ」と、「泄泄八章」を見てみます。

一)我艦未牢、我壁未矗、将者泄泄、蛮方孔棘。

「泄泄」(えいえい)はたくさん居並んで、主君のために競い合おうとしている様子。

二)艦之未牢、猶可治之。壁之未矗、猶可為之。将者泄泄、云如之何。

三)積薪如陵、火発于下、載笑載言、晏然以処。

四)匪風飄揚、匪瀾澎湃、念彼神京、寤歎有愾。

くせはあるけど、兪樾先生のいうとおり、なかなかいいではありませんか、あと四行・・・ですが、明日まだ金曜日だということに気づきました。また今度にしておきます。今日はあぶく銭ができたから、明日はうなぎでも食べようかな。うっしっし。

ホームへ
日録目次へ

コメントを残す