動者刀入脅(動かば刀脅(むね)に入らん)(「後漢書」)
半年ぐらい前に、この人のことを紹介したみたいです。ほんとに覚えてなかった。後半を紹介しておきます。みなさんにとって、何らかの勉強になるかも知れない、という親心ですじゃ。

刃物持ってるとほんとにヤバイ。
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後漢初のひと、楊政は易に通じ、剛毅で人との友誼に篤いと評判になった(1月24日の記事を見よ)。
その人となりは、
嗜酒、不拘小節、果敢自矜、然篤於義。
酒を嗜(この)み、小節に拘らず、果敢にして自ら矜(ほこ)り、然して義に篤し。
お酒が大好きであった。そして、小さな節義には拘らず、決断力と行動力に富み、自分へのプライドが高く、一方で義理人情には篤いのであった。
皇帝の娘婿・梁松、皇后の弟・陰就といった貴戚のひとびとも
皆慕其声名、而請与交友。政毎共言論、常切磋懇至、不為屈撓。
みなその声名を慕い、ともに交友せんことを請う。政、ともに言論するごとに、常に切磋し懇ろに至り、屈撓を為さず。
みんな彼の評判に憧れて、友人となろうと訪ねてきた。楊政は彼らとともに議論し、つねに切磋琢磨して心をぶつけあい、(相手が貴族だからといって)へりくだったり理屈を引っ込めることはなかった。
彼らと議論する中で、一度、楊虚侯の馬武を訪ねてその政見を叩いてみようということになり、楊政は先に馬の家に出向いて、面会を申し込んだ。
ところが、馬武の方は楊政がカタブツだと聞いているので、面会する気にならない。
難見政、称疾不為起。
政に見(あ)うを難しとし、疾を称して起つを為さず。
楊政との面会を困難だといい、病気を理由に起き上がることができないと言った。
「それはお見舞いせねばなりませんな」
楊政は、すたすたと、
入戸、径升牀排武、把臂責之。
戸より入り、径(ただ)とに牀に升りて武を排して、臂を把りてこれを責む。
入口から入り込み、(家人たちが茫然としている間に)まっすぐ寝室のベッドに登って、馬武を押し出した。そして、腕をつかんで、説教を始めた。
曰く、
聊蒙国恩、備位藩輔、不思求賢以報殊寵。而驕天下英俊、此非養身之道也。今日動者刀入脅。
聊か国恩を蒙り、位を藩輔に備え、賢を求めて以て殊寵に報ずるを思わず。而して天下の英俊に驕るは、これ養身の道に非ざるなり。今日(こんにち)、動かば刀、脅に入らん。
「国家から相当の恩義をいただいて、藩侯の位に備わっておられながら、賢者を探して、それによって特別なご寵愛に答えよう、という気はないのですな。そうして、天下のすぐれた俊才たちに威張りちらすのは、決して身を健康に保つ方法ではござらぬ。(その証拠に、)いまここで、変な動きをなされば、刀が胸を貫くこともありましょう!」
実際には刀など持っていないのですが、その勢いにみな気圧された。
左右皆大驚、以為見劫、操兵満側、政顔色自若。
左右みな大驚し、以て劫せらると為し、兵を操りて側に満つるも、政、顔色自若たり。
お側の者たちはびっくりし、これは(馬武が)害せられると思って、武器を持ってまわりを囲んだが、楊政は平気な顔をしていた。
そこへ、
会陰就至、責数武、令為交友。
陰就の至るに会し、武を責数して、交友たらしめたり。
陰就がやっとやってきて、馬武の対応を責め、二人を友人とならせた。
其剛果任情、皆如此也。
その剛果にして情に任ずること、みなかくの如きなり。
楊政の剛毅で果敢、思ったままに振る舞うこと、こんなことばかりであった。
章帝の建初年間(76~84)に、官は左中郎将に至った。中郎将はかなりえらいです。丞相クラスかその一歩手前です。
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「後漢書」巻七十九「儒林列伝」上より。いやあ、勉強になりましたね、と思ったら、「試験に出ない情報だ」「キャリア向上に資するわけではありませんね」「ウンチクとしても特殊に過ぎるわよ」「いったい何のためにこんな話をするのか」と問い詰められてしまいました。
こういう人が同僚や部下にいて「マジメにやれ」と言ってきたら面倒くさいですね、でも小さい節には拘らないと言っているので、上司ならいいかも、ということを教え諭そうとしたのです。なぜわかってくれぬのじゃ・・・。こちらはほんとに役に立つと思います。謝罪の仕方まで教えてもらえるよ。
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