巨鰲浮水上(巨鰲、水上に浮かぶ)(「白蘇齋類集」)
自由な境涯で大自然を眺めていると、半年も経たなくても、だんだんといいひとになってくるではありませんか。

おれたちは働くしかないのでぶん。働いて、でかいハチの巣つくるでぶんぶん。
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明も終わりに近い萬暦年間のことですが、
江漢会合処、大別山隆然若巨鰲浮水上。晴川閣踞其首、方亭踞其背。遐矚遠瞻、閣不如亭。
江漢の会合する処、大別山隆然として巨鰲(ごう)の水上に浮かべるが若し。晴川閣その首に踞まり、方亭その背に踞まる。遐矚(かしょく)遠瞻(えんせん)するに、閣は亭に如かず。
長江に漢水が合流する武漢のあたり、両方の川の間に、大別山がもっこりと、(川の上から見ると)巨大なカメが水上に浮かんでいるかのようである。
このカメの頭にあたるところに、晴川閣という数階建ての建物があり、背中のところに、方亭という休憩場があるのだが、遠いから見たところでは、どうも閣より亭の方がよさそうである。
「遐矚」は「遠くからの眺め」、「遠瞻」は「遠くから見る」。どちらも同じ意味です。
そこで、より高いところにある方亭まで登ってみることにした。
予攀蘿坐亭上、則両腋下晶晶万頃。
予、蘿を攀じて亭上に坐せば、両腋下、晶晶たる万頃あり。
わしはつたに縋りつきながら、方亭まで昇って、座ってみた。ああ。両腋の下には、一万頃(数百ヘクタール)も、きらきらきらめく平面が広がっている!
もちろん、これは二つの川の水面です。
舟檣順逆、皆掛風帆、如蛺蝶成隊、上下飛舞。
舟檣は順逆とも、みな風帆を掛け、蛺蝶の隊を成すが如く、上下に飛舞せり。
舟は、流れに従うのも遡るのも、すべて帆柱に帆をかけていて、蝶が順序良く群れを成しているかのように、浮き上がったり沈み込んだりしている。
昇りも降りも帆を張っている、ということは、風向きは川の流れに垂直に吹いているのでしょう。おそらく山上にいる彼の面をさわやかに吹き過ぎているに違いない。
遠眺則白浪百里、皆在目中、浸遠漸細。
遠眺すれば白浪百里、みな目中に在りて、ようやく遠くしてようやく細なり。
見晴るかす遠くまで白い波が六十キロぐらい広がり(「百里」を比喩とは考えないで、一里≒600メートルでマジメに計算してみました)、すべて視野の中に収まる。遠くへ行けばいくほど、どんどん小さな波になっていく(がよく見える)。
咫尺会城、千門万戸、魚鱗参差、蜂窠層累。
咫尺(しせき)に城に会し、千門万戸、魚鱗の参差(しんさ)、蜂窠(ほうか)の層累するがごとし。
「咫尺」の「咫」は八尺、尺≒30センチぐらい、ですが、「咫尺」は細かい何センチという単位ではなくて、「すぐ近く」という意味です。
すぐそこに武漢の町が見えるが、千の門、万の家、魚のうろこが互いに並ぶように、蜂の巣が何層にも重なるように建て込んでいる。
そこにも、ひとびとの生活と、はるかな歴史があるのだ・・・。
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明・袁宗道「大別山」(「白蘇齋類集」所収)より。白楽天と蘇東坡にあこがれて、「白蘇齋」と名乗ったのです。公安の袁氏三兄弟の長兄、弟たちの方が文名は高いのですが、「一種白描」(なんだかある種のデッサンのようだ)と言われる飾りとか曲折のないまっすぐな文章が、わたしの目利きと翻訳でわかっていただけるでしょうか。 え? グーグル翻訳で十分?
関東は来週にも梅雨明け、とのこと。梅雨明けの前に、どこに「梅雨」があったのか、教えていただきたいぐらいである。でも、ほんとに知りたいならグーグル先生や生成AIさんに聞けばいいですよね。
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