巴峡人(巴峡の人)(「牛氏紀聞」)
しとしとと雨の降る夜であったろう。

湿気の多いところにはぼくたちが現れるよ。もと田んぼだったところにもいたりするかも。
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唐の調露年間(679~680)のことじゃ。
有人行於巴峡。
人の、巴峡を行く有り。
長江の難所といわれる巴峡のあたりを船で遡る人があった。
夜泊舟、忽聞有人朗詠詩。
夜、舟を泊するに、忽ち聞く、人の詩を朗詠する有るを。
夜、舟を舫って横になっていると、どこからともなく、誰かが詩を吟じている声が聞こえてきた。
曰く、
秋逕塡黄葉、寒崖露草根。猿声一叫断、客涙数重痕。
秋逕は黄葉に塡(うず)もり、寒崖は草根を露わす。猿声一たび叫びて断え、客涙は数重痕。
秋の小道は黄色い落ち葉にうずもれている。
冷え冷えとした崖には、(他のものが枯れてしまったので)草の根がはみ出ている。
そんな中、サルの悲し気な声が一度だけ聴こえ―――そして絶えた。
旅人の涙はいくたびも流れて、いくつものあとを残している。
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黙って聴いていると、
其音甚厲、激昂而悲。如是通宵、凡吟数十遍。
その音甚だ厲、激昂して悲し。かくの如く通宵し、およそ数十遍吟ず。
その声はたいへん哀れで、なにやら昂って悲しそうであった。こんなふうに一晩中、とぎれとぎれに歌って、数十回も聞こえてきた。
初聞、以舟行者、未之寝也。
初め聞くに、舟行者のいまだこれ寝ねざるを以てす。
その声を聴きながら、自分と同じように舟で旅している者が、なかなか眠れなくて吟じているのだろう、と思っていた。
少しうとうとした。
目を覚ますと、少し周囲が明るくなっていた。吟じる声はもう聞こえなかった。
暁訪之、而更無舟船。
暁にこれを訪うに、更に舟船無し。
夜が明けてから、どんな人が吟じていたのか気になって、声の聞こえた方に散歩してみた―――が、驚いたことに、このあたりには自分の舟以外には舟は無かった。
但空山石泉、渓谷幽絶、詠詩処有人骨一具。
ただ空山石泉、渓谷幽絶して、詠詩の処に人骨一具有り。
見回してみても、誰もいない山の石の間から泉が湧き、渓谷は静かで周囲に物音もせず、そしてちょうどここかと思うところには、ひと一人分の人骨が転がっていた。
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唐・牛粛「牛氏紀聞」巻六より。この一篇、百文字に満たないのですが、詩情にあふれ、哀切にしてしかも奇怪、唐代志怪小説中まれに見るところ、といわれる傑作です(李剣国2018「紀聞輯校・前言」)。まったくだ、ああすばらしいなあ。・・・みなさんも感動しましたよね?ね?
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