求以郷上(以て上に郷(むか)わんことを求む)(「墨子」)
「郷」という字は、二人の人が閒に「豆」といわれる食器をはさんで向かい合っている、宴会をしている字です。それで、地域共同体を示す「郷里」の「郷」になるとともに、「向かう」という意味にもなるんですなあ。

沖縄慰霊の日です。
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ほんとかどうか、わたしは知りませんが、
昔者越王句践好勇、教其士臣三年、以其知為未足以知之也。
むかし、越王句践は勇を好み、その士臣を教うること三年、その知を以てはいまだ以てこれを知るに足らずと爲す。
むかし(紀元前五世紀のこと)、越王句践(えつおう・こうせん)は、勇気ある行動を好んだ。その観点から配下の武士たちを三年間にわたって教育・訓練したが、まだ、その成果を確認する方法が見つからなかった。
「そうだ」
といいことを思いつきました。
訓練を行うこととし、
焚舟失火、鼓而進之。
舟を焚き火を失い、鼓してこれを進む。
川に浮かべた舟に火をつけ、火が管理できなくなって燃え盛った状態で、太鼓を打って兵士らを前進させた。
燃えている舟に乗りこめ、というのである。
其士偃前列、伏水火而死者不可勝数也。
その士、前列に偃(たお)れ、水火に伏して死する者、勝(あ)げて数うるべからず。
戦士たちは、指示どおり舟に乗りこんで、最前列の者は火に焼かれて死んだが、そのあとの者はそれを乗り越え、今度は舟が焼けて沈んだため、水の溺れて死んだ。その数は確かめて数えることができないほどだった。
「よし!」
当此之時、不鼓而不退也。
この時に当たりては、鼓せざれども退かざるなり。
この状態まで鍛えておれば、太鼓で勇気を奮い立たせなくても、敗退するような者はもういないであろう。
越国之士、可謂顫矣。故焚身為其難為也。
越国の士、顫(ふる)うと謂うべし。故に身を焚くは、その為し難きを為すなり。
越の国の軍士たちも、(怖いときは)身を震えさせることだろう。(普通の人間である。)だから、自分の体が焼けてしまうというのは、し難いことをしたということである。
然後為之越王説之。未踰於世、而民可移也。即求以郷上也。
然る後にこれを為せば、越王これを説(よろこ)ぶ。いまだ世を踰(こ)えずして、民移すべきなり。即ち、以て上(かみ)に郷(むか)わんことを求むればなり。
そこまで鍛えて、やれるようになったのだ。越王はこれをたいへんお喜びになられた。いまだ一世代(30年ぐらい)も経っていないのに、句践はこのように人民の心を入れ換えさせた。
人民の心は入れ換えることができる。なぜなら、彼らは主君(上司)の方にばかり向いて認められることを求めているからである。
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「墨子」兼愛下篇より。上の者が導いてやれば、出来そうにもないこともできるのである。例えば、自分の親より他人を大切にする(兼愛)ことは、困難である、という人が多いが、君主の心がけ一つでどんな困難なこともできるのだから、そのこともできる。それぐらい困難な仕事でも、君ならできる。期待している。がんばれ。何をやってるんだ。
学生さんに、焼けた舟に乗りこむような「勇」を上司は待っているぞ!ソンタクこそ公務員と見つけたり! と教えてあげて・・はいけません。
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