盗取月光(月光を盗取す)(「淥水亭雑識」)
これから山開きの高山もあるでしょう。山登りに行くひとは気をつけてください。

おれはきんたろう。日本の山中にはおれたちの仲間がまだまだいるぞ。就職とかしてないと思うから、ここらへんにはいないはず。
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山中には常人には思いも寄らないことがあるのである。
労山、青城、太白、武当、諸深山、人迹不至之地、有宋元以来不死之人。
労山、青城、太白、武当のもろもろの深山の、人迹至らざるの地には、宋・元以来死せざるの人有り。
山東の労山、四川の青城山、甘粛の太白山、湖北の武当山など、各地の深い山奥、常人のいまだ至ったことの無いところには、宋代や元代、すなわち10世紀から14世紀ごろ以来、現代(18世紀)までずっと生きている人がいるものである。
その人たちは、
皮著於骨、見者返走。皆草仙也。
皮、骨に著(つ)き、見者返走す。みな草仙なり。
皮膚が骨にひっついたように痩せており、見た者はびっくりして逃げて来てしまう。この人たちはみな「草仙」(雑草仙人、とでも訳せましょうか)である。
このような草仙は、
唯絶於人元而地元天元則可作。
ただ、人元において絶するのみにして、地元・天元はすなわち作して可なり。
「人元」だけは無くしていなければならないのだが、「地元」と「天元」は持っていてもよいのである。
―――「人元」「地元」「天元」? それはなんでしょうか。
山中にはまた「鹿仙」がいる。
鹿仙非鹿成仙也。
鹿仙は鹿の仙に成りしには非ざるなり。
「鹿仙」はシカが仙人になったのではない。間違えてはいかんぞ。
―――はあ。
山中道士知人元之法者、以鹿代人取薬物以有成者之名也。
山中の道士の人元の法を知る者、鹿を以て人に代わりて薬物を取りて以て成る有る者の名なり。
山の中で修行中の道士が、「人元」の使用法を知って、シカを使って弟子や童子の代わりにして、薬のもとになる鉱物や植物を集めさせ、それを使ってついに仙人になった場合に、その人が「鹿仙」と呼ばれるのだ。
―――なるほど、「人元」は、それを使うとシカが人間のように使える、というのですから、どうやら「人間の本質の素」のようなものと思われます。では「地元」は?
人唯種禾以取米、則糠自得。本無種糠之法。
人、ただ禾を種えて以て米を取れば、糠自ずから得らる。本より糠を種えるの法無し。
イネを植えてコメを収穫して、それを精米すると当然ヌカが取れる。ヌカを植えて収穫する方法など無いのである。
―――はあ。
地元之用金石亦然。而世之種糠者甚多。
地元の金石を用てするもまた然り。しかるに世の糠を種うる者、甚だ多し。
「地元」から金属や岩石が出てくるのも、イネからヌカが取れるの同じことだ。(つまり、金属や岩石は「地元」の屑のようなものらしい。)それにしても、この世には、ヌカを植えてヌカを得ようとしている者が本当に多いなあ。
富や地位のような「ヌカ」を得るために、えらい人に取入てみたり互いに争ったり、実に下らぬことをしている。
―――まったくですよね。
天元については、
金華人家忌畜純白猫。
金華の人家、純白の猫を畜うを忌む。
金華(南京)の住民たちは、真っ白なネコを飼うのをいやがる。
ということが参考になるだろう。なぜかというに、白ネコは、
能夜蹲瓦頂、盗取月光。
よく夜に瓦の頂に蹲(うずく)まりて、月光を盗み取ればなり。
夜中、屋根瓦のてっぺんのところにうずくまって、月の光を盗み取ることができるからだ。
―――はあ?
則成精為患也。獣亦知天元哉。
すなわち精を成すを患と為す。獣もまた天元を知れるか。
そうやって、月光を精製(して天元を作成)するのを心配しているわけだ。そう考えると、けもの(ネコ)も「天元」のことをよく知っているようじゃな。
―――いや、その前に、わたしがわかりません。
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清・納蘭性徳「淥水亭雑識」より。まさに「雑識」ですね。しかし、こういうのを知らないと知識人とは言えません。東洋では。
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