6月20日 泥はチョコレートみたいで美味そうだ

化作春泥(化して春泥と作(な)る)(「己亥雑詩」)

あたま痒いです。フケもたくさん出るし、だんだん泥になっていくんだと思います。

甘いことばかり言っているやつは一般に危険だ。虫歯になったりする。

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己亥年というのは、道光十九年(1839)、林則徐が大量のアヘンを没収して焼いた年です。翌年、鴉片戦争が勃発する。その年、わたしは北京を出て、郷里の杭州に還ることになった。
詩はもう作らないことにしていたのに、その道中、その誓いを破って作ってしまった。

その一。

著書何似観心賢。不奈巵言夜湧泉。

「巵」(し)は、さかずきの一種ですが、「巵言」(しげん)と熟するのは「荘子」寓言篇に出る言葉です。荘子は言う、

おれの言葉は、

寓言十九、重言十七、巵言日出。

と言って、それぞれの「言」を解説してくれるのですが、

巵言日出、和以天倪、因以曼衍。所以窮年。不言則斉、斉与言不斉、言与斉不斉也。故曰無言。

まだまだこんなのがずっと続くので、もうこのへんにしておきます。何か大切なことを言っているに違いない、と思って読んでも、何言っているかわからないと思います。ほんとは大切なことかも知れないんですが、こちらを混乱させることが目的かも知れない。まじめに解釈した方がいいのか、読み飛ばした方がいいのか・・・と混乱させてくるのが「荘子」のやり方ですから気をつけねばなりません。もう放っておいて次に進みましょう。うーん、だが、もしかしたら真理が書いてあるのかも知れないので、他の奴には先に行かせておれだけはマジメに読まなければ・・・。と、「荘子」を読むとこんな感じで混乱してしまいます。

そういうわけでどんどん詩が出来て、

百巻書成南渡歳、先生続集再編年。

これは全体の序文みたいになっています。

その二。

浩蕩離愁白日斜、吟鞭東指即天涯。

落紅不是無情物、化作春泥更護花。

落ちた花が次の花を支えることになる、「化して春泥と作りてさらに花を護らん」―――この一句を、その後の革命の中で多くの志士たちが口ずさむことになろうとは、詩人は全く知らないはず。

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清・龔自珍「己亥雑詩」(「定盦全集」所収)より。このひとは、この「己亥雑詩」を三百十五首作ったんです。今日はその一首目と二首目だけで、もうおしまい。気力も体力も能力も無い。セリーグと一緒で、もうダメになってきたんです。えらいひともみんな泥になっていったのだからいいですけどね。近衛文麿さんは自殺時に54歳だそうです。

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