6月19日 がんばれ。きみならできるはずだから。

私謝執政(執政に私謝す)(「何氏語林」)

夏の異動期です。誰か挨拶に来ないかなあ。「がんばれ」と言ってあげたいなあ。

おれは「むしヒーロー」最強昆虫ブリキ―ゴだ。がんばってみんなの家に何十匹も一緒に現れるぜ。待っててくれよ。

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北宋のひと、馮拯は河南の人である。太宗皇帝の時に早く太子を立てるべきことを請うて帝王の家のことに口出ししたと断罪され、嶺南に流謫されたが、後、真宗が立つとその忠義を称賛されて

被用、至宰相。無文学、而性伉直。

と、司馬光「涑水紀聞」に評されているひとですが、彼が宰相府にいたとき、

孔道輔初拝正言、詣馮許謁謝。

型どおりの挨拶をした道輔に、馮宰相は言った、

天子用君作諫官。豈宜私謝執政。

「・・・むぐぐ」

道輔慚伏而退。

ずっと後になってから道輔はまわりの者に、回想して言った、

如馮公者、未足為賢相。然求之於今、亦未易有。

と。

現代にはこういう意地の悪いくそマジメな人がいなくなった、と嘆じているんです。

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明・何良俊「何氏語林」巻十三「方正」下篇より。「方正篇」は、「くそまじめエピソード集」という感覚でしょうか。

ところでこの孔道輔という人がまた偏屈な人で、

自以聖人之後、常高自標置。性剛介、急於進用。

或有勧其少通者、答曰、吾豈姓張姓李者耶。

と。

聞者多笑之。

その後、

以事被黜、然非其罪。躁忿且甚、至某県一夕、卒於駅舎。

あまりにも憤慨しすぎたのである。

と、「儒林公議」という本に書いてあるそうです。わたしも血圧が高いのですが、怒り騒がないので大丈夫!のはず。

ちなみに「肝冷齋さんはなんと立派な読書人であろうか、今日の更新のために少なくとも三冊も読んでおられるのだからな」と賞めてくれる人もいるかも知れませんので、「まあね」と言っておきますが、実は「語林」に対する何良俊先生の自注を読んでるだけなので、実際は「語林」だけしか読んでないんです。でもバレなければ大丈夫!のはず。

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