当頭一棒(当頭の一棒)(「清通鑑」)
塩分も体重も運動も尿酸値も全部知ってます。専門家に言われたからといってびっくりしたりびびったりするおれではないぜ。

おれたちユスリカの群は、刀で斬っても棒で殴ってもまたすぐ元に戻るよ。だが、もやもやして実体はない。権力やフェイク情報に屈することはのない「真理」に似ているのでないカ?
専門家はAIよりも信頼されるよう努力してください。そんなに日本軍のこと危惧しなくても、先に〇〇国や広報会社ががんがん流してくる(もう流している)から大丈夫だと思いませんカ?
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この人は誰でしょう?
わたしは十一歳で秀才、十六歳で科挙の地方試験に合格して挙人になったが、さらに新しいことを学びたいと思っていた。そんな時、友人の陳千秋に誘われて、その人のところに行ったのである。
時余以少年科第、且于時流所推重之訓詁詞章学、頗有所知、輒沾沾自喜。
時に余少年を以て科第し、かつ時流推重の訓詁詞章の学において、頗る知るところ有れば、すなわち沾沾(せんせん)として自ら喜べり。
「沾」(てん、せん)は水に濡れた状態、「うるおう」と訓じますが、「沾沾」と熟すると、軽薄で表だけ取り繕っている、という意味になります。「へらへら」と訳しておきますかね。
そのころ、わたしは若くして科挙試験に合格し、また、当時の多数派が重んじていた訓詁学と文章術について、ずいぶん知っていると思っていたから、つまりはへらへらして自信過剰であった。
そんなわたしに、
先生乃以大海潮音、作獅子吼、取其所挟持之数百年無用旧学、更端駁詰、悉挙而摧陥廓清之。
先生すなわち大海潮音を以て獅子吼を作し、その挟持するところの数百年無用の旧学を取りて、更端駁詰し、悉く挙げて摧陥してこれを廓清せり。
「海潮音」も「獅子吼」も仏教用語ですが、ほとけさまの世界中に聞こえる「でかい声」を言います。
先生は、無茶苦茶でかい声でライオンが吼えるようにぎゃあぎゃあと、わたしが挟み持っていた数百年間も役に立たなかった古風な学問を取り上げて、あちらこちらと反論し、ぎりぎりと詰めて、すべてを挙げて砕き、穴に放り込んで、わたしの精神をすっきりさせてしまった。
自辰入見、及戌始退、冷水澆背、当頭一棒、一旦尽失其故塁。
辰に入見せしより、戌に及びて始めて退き、冷水背に澆(そそ)ぎ、当頭一棒して、一旦にその故塁をことごとく失えり。
午前十時ごろに面会を開始して、午後六時ぐらいにやっと引き下がったが、背中に冷水をあびせかけられ、頭を棒でぶん殴られたかのようで、半日でこれまで作った石垣をすべて取っ払われてしまった。
惘惘然不知所従事、且驚且喜、且怨且艾、且疑且懼、与通甫連床、通夕不能寐。
惘惘然として従事するところを知らず、かつ驚き、かつ喜び、かつ怨み、かつ艾(や)み、かつ疑い、かつ懼れ、通甫と連床して、通夕寐(い)ねる能わざりき。
「艾」(がい)は、意味が多い文字で、「よもぎ」「もぐさ」から始まって「年寄」「すぐれたひと」「美しいひと」「久しい」「養う」、のほかに「止める」「つきる」「絶える」といった動詞にも使います。なお、「刈」(がい)と通じて「かりとる」、「乂」(がい)と通じて「おさまる」の意味もあります。これは困ったが、「怨む」と対に用いられているので、(怨みが)「止む」の意と解してみました。
ぼんやりとしてしまって、何に手をつけていいかわからない。驚いていたし、喜んでいたし、否定されて怨む気持ちもあったが、それはもう止んでいたし、本当かと疑ったり、なんだか恐ろしいとも思った。通甫(陳千秋の字)と隣のベッドで、(二人とも)一晩中まんじりともできなかった。
ここの文章は少年の興奮を写して、実にいいですね。
明日再謁、請為学方針。
明日再謁し、為学の方針を請う。
翌日また面会して、これからどんなことを学んでいけばいいか教示を請うた。
先生乃教以陸王心学、而并及史学西学之梗概。
先生すなわち教うるに陸王心学を以てし、并せて史学・西学の梗概に及べり。
先生は(わたしたちに)、(朱子学や訓詁学ではなく)陸象山や王陽明の心を重視した学問を学ぶよう教えてくれた。さらに、歴史学や西洋の学問のだいたいを語ってくれた。
自是決然舎去旧学、自退出学海堂、而閒日請業南海之門。生平知有学自玆始。
これより、決然として旧学を舎(す)て去り、自ずから「学海堂」を退出し、しかして閒日に南海の門に請業す。生平、学有るを知るはこれより始まれり。
この日から、わたしはすっぱりとこれまでの学問を捨て去って、朱子学や訓詁学を学んでいた広州の学校「学海堂」を退学してしまい、しばらくして南海先生の門に入った。わたしの人生で、(本当に)学問というものの存在を知ったのは、この時からのことなのである。
それまでのは違ったのだ。
時に光緒十五年(1889)のことでございます。
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民国・梁啓超「三十自述」(「清通鑑」巻二五三所引)より。「わたし」は梁啓超、南海先生は康有為でした。じゃじゃーん。「清通鑑」、足かけ三年かかってついに日清戦争の終わりまで来ました。もうすぐ戊戌変法になります。あと二十年だ。滅亡まで。だが、塩分や尿酸値などを考えると、こちらの滅亡も近いかも。
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