6月17日 今日で夏バテ完成。もうムリだ。

想生出山(想生、山を出だす)(「治世余聞」)

太平の世の中には、不思議なことが起こるものです。

太平の世には変なキャラクターも次々と現れる。戦わせて最後に残ったやつを煎じて飲むと若返ることができるかも知れません。そうしたらこんな講義もできるかも。

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明・弘治三年(1490)、江西・南昌府での出来事ですが、

城隍廟殿下庭中生一石。

初出地四五寸、越日已長尺余、以後日日漸長。

一寸≒3.1センチぐらいの時代です。

既数日、已三四尺。

どこまで大きくなるのであろうか。

其初出時、無人覚之是石。

柔軟なものだったのでしょう。

偶一人見、曰、此処想生出山矣。

その人がどこの誰であったかはよくわからない。しかし、

因此語遂不復長。其生者至今存焉。

神庭に石ぐらいはあるでしょう。

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明・陳洪謨「治世余聞」上篇巻一より。著者の陳洪謨、字・宗禹は湖広・武陵のひと、高吾先生と自称す、成化十年(1474)の生まれ、弘治九年(1496)の進士、江西参政、巡撫を経て兵部左侍郎(防衛省審議官?)に至ったが、嘉靖九年(1531)時の宰相の怒りにあって、罷免されて帰郷した。以後、家にあって著作に務め、嘉靖三十四年(1555)卒すという。いくつか今に残る著作があるのですが、「治世余聞」はまだ在職中に、弘治年間に見聞したいろんな事件を記録したもの。

この「石」はおそらく粘菌だと思います。あんまり不思議ではありません。ミャクミャクも粘菌と考えればいろいろ辻褄が合う。しかし違うかも。科学のメスが入ってないのでよくわからないです。

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