6月15日 現代の文明人と違い昔の人は非文明的だ

夜尽殺之(夜、尽くこれを殺す)(「牛氏紀聞」)

こんな話を読むと、怒りが沸いて「反中!」と叫びたくなります・・・か。むかしのことだからまあいいか、八十年前のこといつまでもうるさいなあ、という感じでしょうか。

どんな手を使っても、生き残ったものだけが美しいのでアリー!(おれはアリ属ではないけどね)

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唐の時代のことでございます。

日本国使至海州、凡五百人、載国信、有十船、珍貨直数百万。

時の海州知事は湖北・江夏の李邕(り・よう)、文人としても名高い人でした。李邕はその貨物を確認すると、日本国使を宿舎に収容してその出入りを監視した上で、

夜中、尽取所載而沈其船。

そうして、

既明、諷所管人白云、昨夜海潮大至、日本国船尽漂失、不知所在。於是以其事奏之。

中央では疑うこともなく、海州において十隻の船を造って、使者を国に帰すようにとの命令が下り、日本国使に持たせる返信の手紙も届けられた。また、

善水者五百人、送日本使至其国。

と指示された。

「ふむ」

李邕は、自分のことが何か書かれているかも知れないので、国使に渡された手紙の内容を知りたがったが、固く封じられて読むことができない。

既具舟及水工。

使者将発、水工辞邕。

邕は言った、

日本路遥、海中風浪、安能却返。前路任汝便宜従事。

「なんと。くっくっく」

送人喜。

行数日、知其無備、夜尽殺之、遂帰。

国家間の手紙も行方不明になってしまったが、この時代にはよくあることだったから「嵐に遭った模様」と報告されて一件は終わった。一方、唐帝国から日本への贈り物は、略奪者たちの手元に残ったのである。

ひどいことでございます。

邕又好客、養亡命数百人、所在攻劫、事露則殺之。

さすがに、

後、竟不得死。

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唐・牛粛「紀聞」巻六より。怪しからんやつですね。

「旧唐書」巻一九〇中(文苑伝・中)を閲するに、

邕性豪侈、不拘細行、所在縦求財貨、馳猟自恣。(天宝)五載、姦贓事発。・・・就郡決殺之。

ということですから、正史にも記録されたほんとに悪いやつなんです。ただし海州知事の在任は確認できないので、日本国使のことは作り話かも知れません。これだけで「いざ反中!」と叫んでいると、情弱(情報弱者)の老害と認定されてしまいます。

そういえば、十年ちょっと前ぐらいまで「これからは親中、親中」と騒いでいた人たち(Y売、日〇、自〇党)がいつの間にか「反中」に。またアメリカ低迷で「親中、親中」と言い出す・・・のでしょうか。このみなさんはマルチタスクで認知能力低下してるかも知れません。

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