行到食店前(行きて食店の前に到る)(「寒山詩」)
今日も忙しかった。しかし何もしていない。

わしだって、若いころはアリジゴクでしたんじゃ。
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箇是何措大、時来省南院。
箇のこれは何の措大(そだい)ぞ、時に来たりては南院を省す。
「措大」はもともとは「大なることを措置できる」立派な大人の読書人、という意味なんですが、自分でそう思っていても他人には嘲笑されている貧乏書生のことを言います。「大したやつ(笑)」と意訳しておきます。
このわたしはどういう「大したやつ(笑)」なんだろうか、時々やってきて、科挙試験場の南院を覗きにくる。
受験しにくる、という意味です。
年可三十余、曾経四五選。
年は三十余可(ばか)り、かつて四五選を経たり。
年齢は三十過ぎぐらい、これまでに四回か五回、試験を受けた。
まだ合格していない。
嚢裡無青蚨、篋中有黄絹。
嚢の裡(うち)に青蚨無く、篋の中には黄絹有り。
「青蚨」(せいふ)はそのままだと虫の「かげろう」のことですが、古来、はかなくどこかに消えていく「銅銭」を意味します。「黄絹」は「世説新語」中の曹操さまの故事(今日は眠いので紹介しません。明日か、そのうちに・・・)から、「絶妙好辞」(とびぬけてすばらしいいい詩的コトバ遣い)を現わす暗号文の最初に「黄絹」が出て来る(「黄色い絹は、黄色い色のついた糸で織らないといけないから「絶」という意味だ!」)ので、「黄絹」の二字で「すばらしい詩」を意味し、それが箱の中に入っているというのは「詩の才能がある」という意味です。
ふところの嚢の中には銭が無い。背負った箱の中には自作のすばらしい詩が入っている。
そのわたしだが、
行到食店前、不敢暫廻面。
行きて食店の前に到れば、敢てしばらく面を廻らさず。
食い物屋の前を通る時には、がまんしてしばらくそちらの方を見ないようにしている。
見ても買うことができないからです。赤いリンゴや残飯シチューもあるかも。
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「寒山詩」より。貧乏で困窮しているので、コメの値段を下げていただくと「うおおおおお、さすがだぜ」と称賛することでしょう。参議院選挙終わるとおカネももらえそうです。うれしいなあ。しかし誰がこんなに貧乏にしたのかな。アメリカだっけ。Kのおやじだっけ。
このひとたちは賢いから60%が反対したら、わたしどもの一般国民全体の10パーセントぐらいの力はあることでしょう。
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