6月10日 時の記念日だが時間が来ても動きたくない

村居遇雨(村居して雨に遇う)(「明清小品」)

じとじとしてまいりました。

休みなく時を刻み続けて、ある日突如として動かなくなる時計じじいよ、わたしもお前に負けぬようにと頑張ってきたが、そろそろ時が満ちてきたのかもしれない。うだうだー。

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明の末ごろのことですが、わたしは

村居遇雨、来往絶人、自晨昏侍食之外、雖妻子罕見。

孤立しているのかも知れませんね。

居植修竹、間有鳥鳴、女墻低檻、疑近山岫。

昼則仇校史書、夜則屈伸一榻、謝絶肥甘、疎遠苦醴、胸中無思、或会古今得失、一頓足而已。

「仇校」は本来は、二人で(敵対者のように)向かい合って、書物の写し間違いがないかチェックすることですから、相手がいることです。しかし、誰も来ないのですから、ここでは、そのような行為を一人でしているのでしょう。「頓足」は「(快くて)足を踏み鳴らす」「(不愉快で)地団太を踏む」いずれの意味もあるのですが、ここでは「踏み鳴らす」の方だと理解しておきます。

如此数日、天亦将晴、人亦将至、我亦将出。不可以不記也。

因就灯書之。

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明・宋懋澄「与范大」(范大に与う)(近人・趙伯陶「明清小品」所収)。いい手紙ですね。しかしこちらはもう体力も無くなってまいりました。やる気ないだけで無くて体力もないんにゃ。東アジアですが過労はしておりません。←でもこれでいう「儒教」は「朱子学」と言い換えないといけませんよね。

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