6月8日 いい夢みれてよかったではないですか

丰姿絶世(丰姿(ふうし)絶世なり)(「牛氏紀聞」)

日曜の夜は子どもはもう寝て夢でもみていると思いますので、大人の夢の話をのう、ひっひっひ、いたしましょうぞ。

大人は夢などみないぜ。あるのは野望と幻想だけさ。そして、ほとんどが後者であるのだ。
伊藤先生というひとがとてもいいこと言ってくれてるんですが、「私たち社会の側」と「彼ら」か・・・。

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唐のころ、洛陽の道徳里に住むある書生、

日晩行至中橋、遇貴人部従、車馬甚盛。

(もう日暮れなのに、こんな時間にお出かけとは・・・)
と通り過ぎるのを待っていると、御一行さまの方から、

見書生、呼与語、令従後。

一番後ろについてこいということかと思って、列の後ろに回ろうとすると、一番大きな車のところで止められ、これに乗れというのである。

簾を挙げて乗り込んだところ、

有貴主、年二十余、丰姿絶世、与書生語不輟。

「丰」(ふう、ぼう)は現代チャイナでは「豊」の簡体字にも使われますが、「豊」の繁体字である「豐」の冠にも入っているように、もともと容貌、特に豊満で美しい容姿をいう文字です。

豊満な美女が好まれた唐代である。

(なんと美しい人であろうか)

と見とれながら、書生も頷いたりお世辞を言ったりして夢中であった。

因而南、去長夏門、遂至龍門、入一甲第、華堂蘭室。

―――もう少しお話しましょうね・・・

召書生賜珍饌、因与寝。

うーん、えらく簡素な表現なのでがっかりですが、もちろん、ぐうぐうと寝たのではなく、いいことをしてから寝たのだと思います。

夜過半、書生覚、見所臥処乃石窟。

「?」

前有一死婦人、身正洪漲。月光照之、腐穢不可聞。

書生乃履危攀石、僅能出焉。

そのあとどう歩いたのか覚えがないのだが、

暁至香山寺。為僧説之。

「そうですか、それはそれは」
僧は如何にもよくあることのように、驚きもせず聞いていた。その後、

僧送還家、数日而死。

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唐・牛粛「牛氏紀聞」巻七より。むむむ、あまりエッチではなかったではなくて、ただの怪談ではないか。申し訳ありません、ならば、へへ、こちらを・・・と、大人には次のお話をするとして、みなさんはもうお休みください。どうせ新聞なんか取ってないと思うので、明日月曜日、学校か会社に行って、日曜の朝刊を読もう

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