野人之所宜処(野人の処るべきところ)(「澠水燕談録」)
どこにいるべきかはわかりませんが、わたしども野生の者が帝都にいるのはまずいですね。

「わしと一緒に世直しの旅に出よう!」、だが、ご隠居は老害で既成勢力だった!
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宋の太祖皇帝(在位960~976)が北方征伐に出かけたとき、鎮陽道士・証隠さまをお召しになった。
道士は、
博学多識、道行精潔。時年已九十而形気不衰。
博学多識にして道行精潔なり。時に年すでに九十、しかるに形気衰えず。
なんでも知っていて、しかも道士としての戒律に詳しく、それをきちんと守っておられた。そのころすでに九十歳だったが、見た目も気力もエネルギッシュであった。
わたしはもうダメですが。
帝欲留建隆観、隠曰帝都紛華、非野人之所宜処。
帝、建隆観に留めんと欲するも、隠曰く、帝都紛華、野人の処(お)るべきところにあらず、と。
皇帝は都・開封に同行いただいて、近年建てた道教のお寺・建隆観に住まわっていただきたいと思ったのだが、証隠道士は、
「帝都は騒がしくて華やかにすぎまして、わしのような原野に生きて来た者が居るべきところではございませぬでのう」
と断わった。
それでは、と、
上訪以養生之術、隠曰養生之法、不過清心練気耳。
上訪うに養生の術を以てするに、隠曰く、養生の法は、心を清くし気を練るに過ぎざるのみ、と。
皇帝は長生きの方法を訊ねた。証隠道士は言った、
「長生きの方法は、ただ心を清らかにして、内的エネルギーである「気」を増大させるだけでございます」
続けて言った、
帝王之道則異于此。老子曰、我無為而民自化、我無欲而民自正。軒轅帝堯享国延年率由此道。
帝王の道はすなわちこれに異なれり。「老子」曰く、「我、無為にして民自ずから化し、我、無欲にして民自ずから正す」と。軒轅帝(けんえんてい)・堯、国を享け、年を延ばすはこの道に率由せり。
「皇帝のやることはこれとは違いますぞ。「老子」にあるように、
―――わしは何にもしてないのに、人民どもはみんな立派になった。わしは何にもしようともしてないのに、人民どもはみんな正しくなった。
というのが皇帝の道です。これこそ軒轅氏出身の堯帝が、国家を長く保ち長生きもされた方法でございましたのじゃ」
引用されているのは、「老子」第五十七章のコトバです。同章は・・・とわざわざ説明しなくても、むかしの人がちゃんと説明してくれています。ありがたいありがたい。→去年のいまごろを見よ。
帝、尤嘉之賜以茶幣。
帝、尤もこれを嘉みして賜うに茶幣を以てせり。
皇帝はこの言葉を聞いて一段とお喜びになり、茶幣(お茶と交換できる手形)を下さった。
「おカネなんか邪魔でしょうからお茶を贈りますよ、あ、現物ないからこの交換券で」ということですから、風雅ですよね。実際には紙幣と同じ働きをするのだから、にやにやしながらでしょうけど。
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宋・王辟之「澠水燕談録」巻四より。本当は「山吹色のお菓子」が、みんな好きなところでしょう。
このまま帝都にいると、「官民ファンドの責任者を批判する声を上げろ」と言われたりしますから、めんどうです。挙句の果てに、経済が成長しないのは一億臣民のまごころが足りなかったからだと思うので総懺悔させられるのでは。
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