6月6日 雨ざあざあではなくいい天気だった

野人之所宜処(野人の処るべきところ)(「澠水燕談録」)

どこにいるべきかはわかりませんが、わたしども野生の者が帝都にいるのはまずいですね。

「わしと一緒に世直しの旅に出よう!」、だが、ご隠居は老害で既成勢力だった!

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宋の太祖皇帝(在位960~976)が北方征伐に出かけたとき、鎮陽道士・証隠さまをお召しになった。

道士は、

博学多識、道行精潔。時年已九十而形気不衰。

わたしはもうダメですが。

帝欲留建隆観、隠曰帝都紛華、非野人之所宜処。

と断わった。

それでは、と、

上訪以養生之術、隠曰養生之法、不過清心練気耳。

続けて言った、

帝王之道則異于此。老子曰、我無為而民自化、我無欲而民自正。軒轅帝堯享国延年率由此道。

引用されているのは、「老子」第五十七章のコトバです。同章は・・・とわざわざ説明しなくても、むかしの人がちゃんと説明してくれています。ありがたいありがたい。→去年のいまごろを見よ。

帝、尤嘉之賜以茶幣。

「おカネなんか邪魔でしょうからお茶を贈りますよ、あ、現物ないからこの交換券で」ということですから、風雅ですよね。実際には紙幣と同じ働きをするのだから、にやにやしながらでしょうけど。

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宋・王辟之「澠水燕談録」巻四より。本当は「山吹色のお菓子」が、みんな好きなところでしょう。
このまま帝都にいると、「官民ファンドの責任者を批判する声を上げろ」と言われたりしますから、めんどうです。挙句の果てに、経済が成長しないのは一億臣民のまごころが足りなかったからだと思うので総懺悔させられるのでは。

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