6月2日 自分を叱ってくれる人はもういない年じゃ

禽獣奴狗(禽獣・奴狗なり)(「焚書」)

わしはダメだ、ダメ人間、ドウブツ以下です・・・と、むかしよく自己嫌悪に陥ったのは、自分に何かの理想があったのであろう。今は理想も何もないのですが、ドウブツには敵いませんじゃよ。

AIが代替できる人間の仕事はあまりない」そうじゃ。もしホントにそうだとしたら、おまえさんはAI以下じゃ!

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以下、明の萬暦年間(1573~1619)という設定だと思います。

小僧の懐林が禅師の部屋に睡眠の挨拶に来ました。
「お休みなちゃいませ」
「うむ」
にゃあ。
「お」

見有猫児伏在禅椅之下。

この数日前から寺に迷い込んできたネコである。いつも眠そうにしているが、夜になって一段と眠そうだ。

懐林は言った、

這猫児日間祇拾得幾塊帯肉的骨頭吃了。便知痛他者是和尚、毎毎伏在和尚座下而不去。

和尚はため息をついて言った、

人言最無義者是猫児。今看養他顧他時、他即恋着不去。以此観之、猫児義矣。

懐林は相槌を打った、

「そうでちゅなあ、

今之罵人者、動以禽獣奴狗罵人、強盗罵人、罵人者以為至重、故受罵者亦自為至重。

吁、誰知此豈罵人語也。只是還有一件不如禽獣奴狗強盗之処。

「そうじゃのう」

和尚は言った、

禽獣畜生強盗奴狗既不足以罵人、則当以何者罵人乃為恰当。

「うーん、そうでちゅなあ・・・」

懐林は「ヘビ」とか「トラ」とか十幾つ挙げてみたが、

倶是罵人不得者。直商量至夜分、亦是不得。

和尚は言った、

嗚呼、好看者人也、好相処者人也。祇是一付肚腸甚不可看、不可処。

懐林は言った、

果如此、則人真難形容哉。世謂人皮包倒狗骨頭。我謂狗皮包倒人骨頭。未審此罵如何。

和尚は言った、

亦不足以罵人。

と。

その時、
にゃあ。
とネコが鳴いた。退屈して早く眠りたいようである。
「ちょっと待ってくだちゃいよ、もうこんな時間に!」
「あわわ、明日はお勤めがあるというのに」

遂去睡。

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明・李贄「焚書」巻四「寒灯小話」第二夜より。この眠いのに夜中までぐちぐちと話し合いおって。和訳する者の身にもなってみろ、このブタ野郎。ああ、でもこんな比喩ではブタに申し訳ないだけで、人間がブタほどにも役に立つわけではない。人間を罵っていることにはならないであろう。

しりたたきもまともにできにゃいのか、このダメにゃろう!!!AIに弟子入りでもしてこいにゃ!!!

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