禽獣奴狗(禽獣・奴狗なり)(「焚書」)
わしはダメだ、ダメ人間、ドウブツ以下です・・・と、むかしよく自己嫌悪に陥ったのは、自分に何かの理想があったのであろう。今は理想も何もないのですが、ドウブツには敵いませんじゃよ。

「AIが代替できる人間の仕事はあまりない」そうじゃ。もしホントにそうだとしたら、おまえさんはAI以下じゃ!
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以下、明の萬暦年間(1573~1619)という設定だと思います。
小僧の懐林が禅師の部屋に睡眠の挨拶に来ました。
「お休みなちゃいませ」
「うむ」
にゃあ。
「お」
見有猫児伏在禅椅之下。
猫児の禅椅の下に伏在する有るを見たり。
和尚が座禅を組む椅子の下に、ネコが寝ているのが目に入った。
この数日前から寺に迷い込んできたネコである。いつも眠そうにしているが、夜になって一段と眠そうだ。
懐林は言った、
這猫児日間祇拾得幾塊帯肉的骨頭吃了。便知痛他者是和尚、毎毎伏在和尚座下而不去。
這(こ)の猫児、日間はただに幾塊の帯肉的の骨頭を拾得して吃了せるや。すなわち他(かれ)の痛みを知る者はこれ和尚なれば、毎毎に和尚の座下に伏在して去らざるならん。
「このネコは、昼間の間に、どれだけの肉のついた骨(すなわち生き物)を手に入れて食ったのでしょうね。こいつは(生き物を殺して生きていかざるを得ないという「痛いところ」があるわけで、)生きるという痛いところを和尚は理解していると思って、いつも和尚の椅子の下に寝転んでどこにも行かないのでござりまちょうな」
和尚はため息をついて言った、
人言最無義者是猫児。今看養他顧他時、他即恋着不去。以此観之、猫児義矣。
人言う、最も義無き者はこれ猫児なり、と。今、他(かれ)を看養して他を顧みるの時、他即ち恋着して去らず。これを以てこれを観るに、猫児は義なり。
「ひとびとは、「ネコほど信頼できないものはない」と言う。だが、こいつを飼って観察してみるに、こちらが大事にしてやるとこいつは信頼してくれてどこに行かない。これをみると、ネコは信頼できるようじゃ」
懐林は相槌を打った、
「そうでちゅなあ、
今之罵人者、動以禽獣奴狗罵人、強盗罵人、罵人者以為至重、故受罵者亦自為至重。
今の人を罵る者、動(ややもす)れば禽獣・奴狗を以て人を罵り、強盗と人を罵り、人を罵る者以て至重と為し、故に罵りを受くる者もまた自ら至重と為す。
近年、人を罵倒する時に、みんなややもすれば、「鳥や動物」「いぬやろう」「盗人」などと言って罵倒して、すごい罵倒だと思っていまちゅ。だから、罵られる方もそう言われるとすごく罵倒されたつもりになって大いに争ったりしまちゅね。
吁、誰知此豈罵人語也。只是還有一件不如禽獣奴狗強盗之処。
吁(う)、誰か知らん、これあに人を罵るの語ならんやを。ただこれ、また一件の禽獣奴狗強盗に如かざるの処有り。
ああ! それらのコトバは本当に人を罵倒しているコトバなのだろうか。鳥や動物、いぬやろう、ぬすっとよりもひどいところが、人間にはあるのではないでちょうか」
「そうじゃのう」
和尚は言った、
禽獣畜生強盗奴狗既不足以罵人、則当以何者罵人乃為恰当。
禽獣・畜生・強盗・奴狗、既に以て人を罵るに足らざれば、まさに何者を以て人を罵るに恰当と為すべき。
「鳥や動物、その他の生物、盗人、いぬやろう・・・これらが人を罵倒するには足らないコトバであるとすると、いったい何を以て人を罵倒すればよいのだろうか」
「うーん、そうでちゅなあ・・・」
懐林は「ヘビ」とか「トラ」とか十幾つ挙げてみたが、
倶是罵人不得者。直商量至夜分、亦是不得。
倶にこれ、人を罵るに得ざる者なり。ただに商量して夜分に至るもまたこれ得ず。
どれもこれも(いいところがあり過ぎて)、人を罵倒するコトバとしては適切ではない。ああだこうだと議論して、夜中になったがまだ結論が出なかった。
和尚は言った、
嗚呼、好看者人也、好相処者人也。祇是一付肚腸甚不可看、不可処。
嗚呼、好く看ずる者は人なり、好く相処する者も人なり。ただこれのみ、一に肚腸に付するも看ずべからず、処するべからず。
「ああ、物事を観察する能力があるのは人間だけじゃ。新しい状態にどう対処すればいいかを考えられるのも人間だけじゃ。ただ人を罵倒するに相応しいコトバはなにか、というこのことのみは、腹の底まで考えてみても、観察結果も出なければ、対処もできないとは!」
懐林は言った、
果如此、則人真難形容哉。世謂人皮包倒狗骨頭。我謂狗皮包倒人骨頭。未審此罵如何。
果たしてかくの如くんば、すなわち人は眞に形容しがたきかな。世に謂う、「人皮にて狗の骨頭を包倒す」と。我は謂わん、「狗皮にて人の骨頭を包倒す」と。いまだ審らかならず、この罵りは如何なるを。
「こうなりますと、人間というのは本当に言い表しずらいものなのでちゅなあ。世間では、「おまえは人の皮をイヌの骨にかぶせただけだ」という言い方がありますが、こうなったら「おまえはイヌの皮を人間の骨にかぶせただけのいぬやろうだ」と言ってみれば、どうでちょうか」
和尚は言った、
亦不足以罵人。
また以て人を罵るに足らず。
「それは、イヌを罵っているのであって、人間を罵っているのではないぞ」
と。
その時、
にゃあ。
とネコが鳴いた。退屈して早く眠りたいようである。
「ちょっと待ってくだちゃいよ、もうこんな時間に!」
「あわわ、明日はお勤めがあるというのに」
遂去睡。
遂に去りて睡れり。
懐林小僧は部屋に去り、和尚も早々に眠りについた。
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明・李贄「焚書」巻四「寒灯小話」第二夜より。この眠いのに夜中までぐちぐちと話し合いおって。和訳する者の身にもなってみろ、このブタ野郎。ああ、でもこんな比喩ではブタに申し訳ないだけで、人間がブタほどにも役に立つわけではない。人間を罵っていることにはならないであろう。

しりたたきもまともにできにゃいのか、このダメにゃろう!!!AIに弟子入りでもしてこいにゃ!!!
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