6月1日 シエスタとか昼寝で時間を有効に使おう

体貌至肥(体貌至って肥えたり)(続き)(「牛氏紀聞」)

食べすぎているわけではないんですが、どんどん内臓脂肪が増えてきて左右に振り向いたりできなくなってきているんです。意識の高い人みたいな自己管理能力があってたまるかなんです。

お酒飲んで一頭分肉食って寝る。どうやってカロリー消化しているのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

もう退屈してきましたが(少なくとも筆者の方は、ですが)、しようがないので昨日の続きです。

(前回のあらすじ)出身地不明の謎の僧侶は、都からお見えになった法将さまの涅槃経説経の席で、あろうことか酒を飲み蒸しブタを食べ始めたのだった・・・。

すごいむしゃむしゃ食ったので、

斯須酒肉皆尽。

なくなると、

登其牀且寝。

食べてすぐ寝るんですから、肥満しますよね。

これは実は真昼間のことであった。

既夕、講経僧方誦涅槃経、酔僧起。

起きてきて、言った、

善哉妙誦。然我亦嘗誦之。

因取少草、布西牆下、露坐草中、因講涅槃経。

その説経は、

言詞明白、落落可聴、講僧因輟誦聴之。

内容がどうこうというより、声がいいとかはっきり聞こえる、というところばかりが評価されるというのは、現代人としては腑に落ちませんが、当時の大きなポイントのようです。・・・よく考えたら現代でも声がでかいやつが評価されるんだから同じか。失礼しました。

毎至義理深微、常不能解処、聞酔僧誦過経、心自開解。

比天方曙、遂終涅槃経四十巻。

この時、

法将生平所疑、一朝散釈都尽。

「ありがたや」

法将方慶稀有、布座礼之。比及挙頭、酔僧已滅。

諸処尋訪、不知所之。

・・・・・・・・・・・・・・・・

唐・牛粛「牛氏紀聞」巻二より(昨日の続き)。ほぼ予想どおり、の展開と結末でした。「ほぼ」と言っているのは、最後行方不明になりましたが、ここが頭を挙げた時にはもう「死んでいた」、しかし葬ったらヒョウタンしか残っておらず、同じ日に遠いところで謎の僧と会ったという人がいた、と入れ替わったタイプの展開もわずかに予想されたからです。
物語の先の展開構造が見えるとは、水戸黄門みたいで安心できます。結末近くまで見なくていいので、空いた時間で念仏でも唱えていられてありがたいですよね。時間管理に成功・・・ということでいいのでしょうか(全勝さんの「段取り」とはだいぶん違うと思います)。

それにしても、中島さんがすごく上から目線な人に見えます。記者さんが浅はかなんだと思いますが。(6月2日、これは全勝さんの記事要約の仕方が悪いので、中島さんは上から目線ではありませんでしたし、記事書いた人も悪くない、ということが判明しました。全勝さんも誤解の無いよう書き換えたとのことですが、肝冷斎は失敗の跡形として残しておきます。わしはダメなのじゃ。AI以下です。→6月2日の記事に続く)

ホームへ
日録目次へ

コメントを残す