三復流涕(三復流涕す)(「講孟余話」)
オトコには説明できない涙もあるものなんだぜ・・・と言ってはいけないんでしたっけ、現代は。

ままかりではありません。わからないことをすかすか斬ってしまっては後で切り方が間違ってたりして困ってしまうような気がします。
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紀元前四世紀ころのことですが、
萬章問曰、敢問友。
萬章問うていわく、「敢えて友を問う」と。
弟子の萬章が先生の孟子に質問した。「(怒られるかも知れませんが)思い切って「友となること」についてご質問します」と。
孟子は答えて言った、
不挟長、不挟貴、不挟兄弟而友。友也者、友其徳也。不可以挟也。
長を挟まず、貴を挟まず、兄弟を挟まずして友たれ。友なるものは、その徳を友とすなり。以て挟むあるべからず。
「孟子」萬章下より。
朱子の注にいう、
挟者兼有而恃之之称。
「挟」(きょう)なるものは、兼ね有してこれを恃むの称なり。
ここでいう「挟」は、何かのほかにそれも持っていて、それに依存するという意味だ。
と。もう少し文意に即して敷衍すると、「お互いの「徳」、内面に蓄えている「いいところ」を認め合って友だちになるのですが、それ以外の理由にも依存して友だちになってはいかん」と孟子は言いたいのだが、その「依存して」の部分が「挟」だ、というのが朱子の趣旨(←地口になってますね)。そこで、日本の読み下しでは、一般にこの「挟」は「はさむ」ではなくて「たのむ」と訓じています。
どちらかが年長だから、とか、どちらかが身分が高いから、とか、兄貴や弟が知り合いだから、とか、そんなものに依存せずに友だちになれ。友だちになる、ということは、お互いの「いいところ」を認めあってなるのである。他のことに依存してはいかん。
まあそうなんでしょう。友だちになるのは難しいんです。若いころに
「友だち」と「人脈」の違いに気をつけろ。おまえが「友だち」だと思っているやつは、おそらくほぼみんな「人脈」だ。
と教えてもらいました。おかげでゴルフしたり家族連れでバーベキューパーティーしたりする「友だち」がいません。ああ寂しいなあ。うっしっし。
さて、この孟子のコトバを聴いて、泣き出した人がいるんです。
吾師平象山常に云く、昔者楽翁公(割注:白川侍従松平定信)執政たる時は、常に布衣韋帯の士を引見すと聞く。今天下如何なる時ぞや、而して執政高して驕り、貴して矜(ほこ)り、敢て天下の賢に下ることをせず。天下の事知るべきのみと。真に知言なるかな。
わたしの師匠の佐久間象山先生(平氏なんです)はいつも言っていた。
「むかし、寛政の改革の松平定信公が老中だった時は、公は常に、布の粗末な衣や皮の貧しいベルトをしたサムライでも、面会をして人となりを確認し、意見を聴いたという。今はどういう時代なのだ?(寛政の時よりも危険な時代だ。)それなのに、大臣がたはお高く止まってエラそうにし、身分が上なのを威張りくさって、そういうのを捨てて天下にいる賢者たちにへりくだろうとしない。ふん、これでは天下がどうなっていくか、よくわかるではないか」と。
本当に智慧のあるコトバであったのだ。
余講じて此章に至り、蓋し三復流涕す。
わたしは、(孟子を)講義してこの章まで来て、このために二度三度と、涙を流してしまった。
と言ってます。
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本朝・吉田松陰「講孟余話」萬章下第三章より。泣いた理由がわからないんです。何かに感動しているらしいのはわかるんですが、松陰は象山より安政の大獄で先に死にますので、死んだ先生を哀しんでいるわけではありません。ありうるのは、①ど真ん中の正しいことだったので意表をつかれて感情の制御ができない、②いつもは忘れているのだがこの章を読んで思い出したので懐かしさに泣いている、③天下が滅んでいくので悲しい、のどれかでしょうか。うーん・・・こんなことに悩んでいると、竜馬が懐手をして「ちいせえ、おまはん、ちいせえぜよ」と教えてくれるかも。
このキリン大賞を取った人は、本来の意味の「我慢」状態ではなかろうか。
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