冷雋可誦(冷雋(れいしゅん)にして誦すべし)(「栖霞閣野乗」)
むかしの人は智慧があったんです。

カネだ、カネが足りない!なんとかしろ・・・というときには?
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清末のことでございますが、
吾邑某老翁、生平多負欠、乃子乃孫、殆有甚焉。
吾が邑の某老翁は、生平負欠多く、乃子、乃孫はほとんど甚だしき有り。
わしの村になんとかというじじいがおりまして、常日頃から借金が多く、返せないカネもかなりあった。その子、その孫は、もっとひどいのであった。
「うちは借金が多いなあ」
と、
翁嘗詠欠債祖師以解嘲。
翁嘗て「欠債祖師」を詠みて解嘲す。
じじいは、ある時、「借金先生のうた」を詠んで自虐した。
その詩に曰く、
自従出世債纏身、旧欠才償又転新。
出世より債身に纏わり、旧欠わずかに償うにまた転新す。
世に出てこのかた借金がこの身に纏わりついて、古い借金を返したと思うと新しいのに生まれ変わる。
恰喜児曹尤勝我、堪称欠債老郷紳。
あたかも喜ぶ、児曹の尤に我に勝り、欠債老郷紳と称するに堪えたり。
さらにうれしいことには子どもたち(の借金漬け)はわしに勝り、「借金旧家」と呼ばれることができるだろう。
以上が第一首。
次は第二首。国債について歌います。
思量欠債最難過、国債如何不懼多。
欠債を思量するは最も過ぎ難きに、国債如何ぞ多きを懼れざる。
借金のことを考えるのは、人生で最も苦しいことなのだが、国の債務(清朝は外債を起こしたんです)はどうして多くても困らないのだろうか。
我債却無田産抵、想来国債有山河。
我が債は却って田産の抵する無きに、国債を想来するに山河有りき。
わしの借金には、抵当にする土地や稼ぎももう無いが、国の借金には、思うに、(抵当として)山や川があるからじゃなあ。
以上。よかったですね。
以詼諧之筆、寓譏刺之意、冷雋可誦。
詼諧の事を以て、譏刺の意を寓し、冷雋(れいしゅん)誦すべきなり。
おふざけのようにして、御政道を批判する風刺の味わいもあり、冷静で優れていて、誰もが口ずさむべきであろう。
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清・孫静安「栖霞閣野乗」下より。そうか、山河を抵当にして国を売ってしまえばいいんだ。どうせ●国に侵略されていくんだから切り売りしてしまえ・・・と考えているかも。誰かが。
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