5月24日 怒ってはいけません。冷静に。

冠裳而吃人(冠裳して人を吃らう)(「焚書」)

現代のすぐれた民主主義国にはこんなトラのようなひとはおりません。

むかしの人たちは、金太郎あめのように、みんなこんな人たちばかりだったのだろうか。

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昔の伝奇を読んでいると、漢の宣城郡守・封卲(ほうしょう)のことが出てくる。

一日化為虎、食郡民。民呼曰封使君、即去不復来。

というのである。

宣城では、人民たちがこのことを歌い継いだという。歌に曰く、

莫学封使君、生不治民死食民。

明のひと張禺山にこのことを謳った詩がある。

昔日封使君、化虎方食民。今日使君者、冠裳而吃人。

二番、

昔日虎使君、呼之即慚止。今日虎使君、呼之動牙歯。

三番、

昔時虎伏草、今日虎坐衙。大則呑人畜、小不遺魚蝦。

なんでも食ってしまうんです。

あるひとが言った、

此詩太激。

すべての知事がトラのようであるわけではあるまい。

だが、寓山は言った、

我性然也。

楊升庵が言った、

東坡嬉笑怒罵、皆成詩。公詩無嬉笑、但有怒罵耶。

わたくし(李卓吾)も申し上げたい、

果哉怒罵成詩也。升庵此言、甚於怒罵。

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明・李卓吾「焚書」巻五「読史篇」より「封使君」。この本、やっぱりおもしろいですよね。爆発的に売れてたので、禁書になってもあちこちに残ったといわれるとおりです。
現代のわが国にはトラは動物園にしかいませんから、こんな悪い政治家や役人も動物園にしかいません。ああよかった。特別の「動物園」なので、修学旅行などで見に行ってみましょう。
動物園に入っていないクマやタヌキやハクビシンなどが危険です。もちろん何ものかの比喩ですよ。うっしっし。いろんな智慧が試された中で今の形を選んでいるので、ちゃんと使えばいいと思うのですが・・・。
1922年には大正だ。

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