才而性鄙(才にして性鄙なり)(「世説新語」)
今日も老いの身にムチ打って、深夜までかけて更新しました。みなさん、どうぞ何かを学んでくだされや。

金先生はおっしゃった、
「おお、肝冷斎よ、カネだけ、今だけ、自分だけの「三だけ」に役立つことならば、誰もが目をぎらぎらさせて聴くであろうに」
と。
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東晋の褚裒(ちょ・ほう)が、初めて会稽に赴任したとき(四世紀の前半ごろですよ)のことじゃ。
孫長楽於船中視之。
孫長楽、船中においてこれを視る。
孫綽(そん・しゃく。長楽侯)が船に乗り込んできて、面会した。
孫綽も大貴族ですが、若いころから会稽に住んでいた。
言次、及劉真長死、孫流涕。
言次に、劉真長の死に及び、孫、流涕せり。
話のついでに、劉惔が亡くなったということに触れると、孫綽は涙を流した。
劉惔(りゅう・たん)、字・真長は当時清談の名手と言われた文化人です。生没年ははっきりしないのですが、この二人よりは早く死んだらしい。
因諷詠曰、人之云亡、邦国殄瘁。
因りて諷詠して曰く、「人の云(ここ)に亡ぶや、邦国も殄瘁(てんすい)せん」と。
そこで、声に出して歌って言った、
「そのひとがいなくなってしまった。国家も衰えていくことだろう」
と。
「人の云(ここ)に亡ぶや、邦国も殄瘁(てんすい)せん」は、「詩経」大雅「瞻卬」(せんこう。仰ぎ見る、の意)の一節。久しぶりで「詩経」の講釈して進ぜようぞ! と思いましたが、既に夜は深く、目もしょぼしょぼし明日も平日なので、断念せねばならないとは。(こちらもどうぞ。)
さて、黙って聴いていた褚裒は、突然怒り出した。
眞長平生、何嘗相比数。而卿今日作此面向人。
眞長は平生、何ぞ嘗て相比数(さく)せんや。しかるに卿、今日この面を作して人に向かえるとは。
「劉惔のやつとは、これまで、お互いにどういう関係があったのだ? それなのに、おまえさんは、今、何故わしに向かってそんな悲し気な顔ができるのだ?」
劉惔は会稽に来たことなど無かったはずである。
そう言われて、孫綽は、
廻泣、向褚曰、卿当念我。
泣けるを廻らして、褚に向かいて曰く、「卿、まさに我を念(おも)うべし」と。
泣くのを止めて、褚裒に向かって言った、「あなたは(わたしが劉惔と付き合いがあったと認識していないようで、それはいいとして、)ここで会ったわたしのことは覚えておいてくださいね」
と。
万事こんな調子であったので、
時咸笑其才而性鄙。
時にみな、その才にして性の鄙なるを笑えり。
当時のひとびとはみな、孫綽が才能はあるのに、性格がいやしいと言って笑っていた。
もっと大きなみやびな心がないといけませんね。貴族ですから。・・・念のため言っておきますが、才能がある分、わたくしどもより優れているのですよ。
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南朝宋・劉義慶「世説新語」軽詆第二十六より。「軽詆」は「ちょっと批判すべきことシリーズ」です。褚裒は後に外戚となり、征北大将軍に任ぜられ、一時期たいへんな権勢を誇ったが、その性格は洒脱で人気があった。
一方、孫綽は文人としてだけでなく、桓温の幕僚として蜀や洛陽の争奪戦に活躍した。貴族の世界にはぴったりしない人だったのであろう。
「游天台山賦」(天台山に遊ぶのうた)というのが自慢の作で、
卿試擲地。要作金石声。
卿、試みに地に擲(なげう)て。要(かなら)ず金石の声を作さん。
「おまえさん、試しにこの賦を地面に投げつけてみろ。必ず、鐘や磬、すなわち金属や石で造られた楽器のように、すがすがしい音を立てるだろうから」
という名言を遺した。ホントは今日のお題にした「才にして性は鄙なり」よりこの「要ずや金石の声を作さん」の方が格段に有名な言葉ですが、こんな言葉覚えても勉強になりませんよね。それよりは、才能があっても性格がいやしいやつはいるのだなあ、の方が勉強になることでしょう。もちろん人生の。
なお、言われた友人は苦笑して、
恐子之金石、非宮商中声。
恐らくは子の金石、宮商中の声に非ざらん。
「おそらく、おまえさんの金属や石の楽器は、宮・商・角・徴・羽(きゅうしょうかくちう。ドレミファソ)のまともな音階から外れた音を出すやつだろう」
と言ったそうである。(「世説新語」文学第四より)
既に「日本にも昔はカネだけ、今だけ、自分だけ、と言うと「それ以外にも大切なものがある」という人がいたんだよ」と教えると驚かれるようにはなっているのでは。「そういう偽善を言ってるゆとりが無いんすよ、おれたちにはね」「おほほ、自己への投資に忙しいですもんね」「あははは」「いひひひ」「うふふふ」みたいに言って冷笑するのであろうか。
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