数戦数勝(しばしば戦いてしばしば勝つ)(「淮南子」)
ガザもウクライナも戦争続くようです。今日はマジメな話をしようかな。

おれたちは負けないぜ。
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戦国の時代、魏の武侯(在位前395~前370)が、宰相の李克に問うた、
呉所以亡者何也。
呉の亡ぶる所以のものは何ぞや。
「呉の国が滅亡(前473)したのは何故であったかなあ」
李克は答えて言った、
数戦而数勝。
しばしば戦いてしばしば勝てばなり。
「何度も戦争をして何度も勝ったからでございます」
「なんじゃと?
数戦数勝国之福、其独以亡何故也。
しばしば戦いてしばしば勝つは国の福なり。それ独り以て亡ぶるは何故ぞ。
何度も戦争して何度も勝つのは国家にとっての幸福である。ところが呉ではそれが原因で滅亡したという。どういうことであろうか」
数戦則民罷、数勝則主驕。以驕主使罷民、而国不亡者天下鮮矣。
しばしば戦えば民罷(つか)れ、しばしば勝てば主驕る。驕れる主を以て罷(つか)るる民を使い、而して国亡びざるものは天下に鮮(すくな)し。
「何度も戦争しますと国民は疲弊します。何度も勝ってしまうと君主は驕傲におちいります。驕傲な君主が疲弊した民を使うのですから、国が亡びなかったことは滅多にないのであります」
「ほう」
驕則恣、恣則極物。罷則怨、怨則極慮。上下倶極。呉之亡猶晩矣。夫差之所以自剄於干遂也。
驕るればすなわち恣となり、恣なればすなわち物を極む。罷るればすなわち怨み、怨めばすなわち慮を極む。上下ともに極まるなり。呉の亡ぶるはなお晩(おそ)きかな。夫差の干遂(かんすい)に自剄する所以なり。
「驕傲になりますればやりたい放題になり、やりたい放題になれば資源の利用は極まってしまいましょう。疲弊すれば君主への怨恨が起こり、怨恨が起これば憎悪の思いは極まってしまいましょう。上も下も極まってしまったのですから、呉が滅んだのは、おそすぎたとさえいえます。以上が、呉王夫差が干遂の地で(越軍に包囲されて)自ら首を斬って死んだ理由でございます」
「なるほど。勉強になるのう」
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漢・劉安「淮南子」巻十二「道応訓」より。「数戦数勝すれば国亡びざるもの鮮(すくな)し」が印象的ですね。全勝さんはまずい。ときどきは負けないと。だが「負けるが勝ち」とも言います。ああどうしても勝ってしまう。
しばしば戦ってしばしば勝ってきた欧米近代主義が終わるようです。ご苦労様でした。
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