富貴人来踏(富貴の人、来たりて踏む)(「酔古堂剣掃」)
わたしも富貴の人が来れないようにしてあります。エアコンや服、座る場所が無いなどの工夫が。

おいら風神。服もないとはけちからん。
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宋の人、呉正子は、
窮居一室、門環流水。
一室に窮居し、門に流水を環らす。
一部屋しかない貧しい家に暮らしていた。門は流水の中に立っているのだった。
家に出入りしようとすると、
跨木而度、度畢即抽之。
木を跨ぎて度(わた)り、度り畢(おわ)りて即ちこれを抽く。
木切れを置いて、それを足場にして水を渡る。渡り終えると、すぐにその木切れを取り除いてしまうのであった。
「なぜそんなことをするのだ?」
とひとがその所以を問うたところ、笑って曰った、
土舟浅小、恐不勝富貴人来踏耳。
土舟浅くして小、富貴の人の来たりて踏むに勝えざらんことを恐るるのみ。
「この泥船(のような木切れ)は、底も浅く、小さい。財産や身分をお持ちの方がお見えになったとき、こんなものを踏んでも渡ることができないのではないか、と思って、富貴の方々が来る前に片づけておくんですよ」
と。
富貴の人は来ないのですが、もし来てしまったときにこんな木切れを踏んでわしの家に入ろうとして滑ったり転んだりするといけないので、踏まないように先に外しておいてさしあげるのです。来なくていいよーだ、と言っていると思います。
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明・陸紹珩編「酔古堂剣掃」巻十「豪」篇より。豪快な言葉を集めた章ですが、豪快というより斜に構えているところが魅力的ではありませんか。
すぐ次に、
吾有目有足、山川風月、吾処能到、便即属吾。吾便是山川風月主人。
吾に目有り足有り、山川風月は、吾がよく到る処、すなわち吾に属す。吾すなわちこれ山川風月主人なり。
わしには、目もある、足もある。あちこちに行けます。山や川、風景や月影など、わしが見に行ったものはすべてその場でわしのものじゃ。わしは、つまり、山や川、風景や月影などの所有者なのじゃ。
というのもありますが、これも豪快というより拗ねている感じが魅力的では。
明日朝から仕事。えらい人に説明があるから、破れてない服着てこいというんです。服が無い奴は①行かない、②遅刻する、③早退する、どれが正しいだろうか。
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