辞多不載(辞多くして載せず)(「唐摭言」)
載せてもらえなくてもしようがないですね。ちょっと眠すぎる。

菖蒲の花が開くころの詩だよ!
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唐の趙牧はどこの出身かわからないが、唐の後半期に李長吉に詩を学んだ。李長吉派といえば、
可謂蹙金結綉、而無痕跡。
蹙金(しゅくきん)にて綉(しゅう)を結ぶと謂うべきも、痕跡無し。
「蹙金」は金を延ばした細糸。「綉」は「ぬいとり」。
「金糸で縫い取りをする」と言われるような細かいところまで気をつける作風である。しかし、趙牧の作品にはそんな痕はみえない。
「対酒」(酒に対す)という詩が遺っています。
雲翁耕扶桑、種黍養日烏。
雲翁扶桑に耕やし、黍を種えて日烏を養う。
雲じいさんは東の果ての扶桑の地でお百姓をしており、キビを植えて、太陽の中にいるという三本足のカラスにエサやりじゃ。
手挼六十甲子、循環落落如弄珠、長縄繋日未是愚。
手には挼(だ)す六十甲子、循環落落して珠を弄するが如く、長縄にて日に繋くるもいまだこれ愚かならず。
じいさんは手に、甲子から癸亥までの六十甲子を握っていて、ぐるぐる種を落とすまるで真珠を手に弄んでいるかのように。長い縄を太陽に懸けて引っ張ることだってできないわけではない。
という雲じいさんとは別にじいさんがいる。こちらは、おそらく作者自身。
有翁臨鏡捋白須、飢魂弔骨吟古書。
翁有り、鏡に臨みて白須を捋(ひ)き、飢魂弔骨にして古書を吟ず。
このじいさんは鏡に向かって白いひげをひっぱりながら、飢えた人のような魂、弔い事をして痩せこけているときのような骨、老いさらばえて古い昔の書物を声をあげて読んでいる。
それでも勉強を怠ることはない。
馮唐八十無高車、人生如瘧在須臾、何乃自苦八尺躯。
馮唐八十にして高車無く、人生は瘧の如く須臾に在り、何ぞすなわち自ら八尺の躯を苦しむ。
後漢の馮唐は年老いてから召し出されたので、八十歳のころにはまだ高官の乗る大きな車は持っていなかった(。だから先生もまだここれからかも)。人生は「おこり」のようなもので、突然熱を出したかと思うと、突然冷え切ってしまうもの。どうしてああだこうだと悩んで、自分の160~180センチの肉体を苦しめているのか。
裂衣換酒且為娯。勧君日飲一瓢、夜飲一壺。
衣を裂いて酒に換えてしばらく娯しみを為さん。君に勧む日に一瓢を飲み、夜に一壺を飲め。
衣服を引き裂いた端切れが当時は貨幣代わりだったので、これでお酒と交換して、しばらく楽しくやろうではないか。おまえさん、昼間はひょうたん一本飲み、夜は一壺分飲むのだぞ。
杞天崩、雷騰騰、桀非舜是何足凭。
杞天は崩れ、雷騰騰、桀は舜にあらず、これ何ぞ凭るに足らん。
杞の国のひとは天が崩れてこないかと悩んだ(杞憂)というが、ほんとに崩れかけてきて、かみなりはごろごろ。桀王は舜のような立派なひとではないから、こんな時にはあてにならない。
あてになるのは
桐君桂父豈欺我、酔里騎龍多上昇。
桐君桂父はあに我を欺かん、酔里には龍に騎して上昇するもの多し。
仙人の桐のとのさま、桂のおやじは、信用できる男たちだ。酔っぱらった時には龍に乗って上昇して天にいくことが多い。
菖蒲花開魚尾定、金丹始可延君命。・・・
菖蒲の花開き魚尾定まり、金丹始めて君の命を延ばすべきなり・・・。
ショウブの花は開き、魚の尻尾の色も一定しはじめた。(初夏です。)この季節になると丸薬ができあがるから、やっとあなたの命も延ばしてあげられるだろう・・・。
引用が長くなりました。
其余尤上軽巧、辞多不載。
その余、尤も軽巧を上とし、辞多くして載せず。
どの作品でも、軽い巧みさを一番大切にしていて、言葉が多い。言葉が多すぎるので、これ以上は載せられません。
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五代・王定保「唐摭言」巻十より。神話世界が垣間見られておもしろい詩ですが、趙牧の作品で今に伝えられるのはこの一首だけ。それも途中で端折られてしまうとは。
忙しいから後ろの方の順番の人は端折られていたでしょうね。
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