不昧己心(己の心を昧(くら)まさず)(「菜根譚」)
小さいことからこつこつやっていきたいですね。年を取ったらなおさらですじゃ。

早起きして役に立つ人間になるでコケ。
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明の時代の人がいうには、
不昧己心、不尽人情、不竭物力。
己の心を昧(くら)まさざれ、人の情を尽(つ)くさざれ、物の力を竭(つく)さざれ。
自分の気持ちをごまかしてはいけない(自分に正直にやりなされ)。
他人にいっぱいいっぱいの気持ちにさせてはいけない(落ちどころを作ってやりなされ)。
ろんな物を使い尽くしてはいけない(少しは倹約しなされ)。
三者可以為天地立心、為生民立命、為子孫造福。
三者、以て天地のために心を立て、生民のために命(めい)を立て、子孫のために福を造るべし。
この三事項は、これらによって、天地の(あらゆるものを生きさせようという)心を具体化し、一般人民の(社会の一員として役に立とうという)人生の目的を明らかにし、そして自分の子孫(をはじめ後世の人々)のしあわせな人生の基を作ることにつながることである。
いきなりそれらをするのは難しいから、上の三つをしてみなされ、とうことでしょう。
下の三つは、宋・張横渠「通書」の、東洋ではもちろん有名なんですが、特に日本では有名な「四為の教え」、
為天地立心、為生民立命、為往聖継絶学、為万世開太平。
天地のために心を立て、生民のために命を立て、往聖のために絶学を継ぎ、万世のために太平を開かん。
天と地の心を具体化し、人民たちの人生の目的を明らかにし、過去の聖人賢者の遺して行った知的営為を継承し、そして未来のために大いなる平和と豊饒の世界を開こうではないか!
何時聞いてもかっこいい! しびれる!
という人もいるかも知れませんが、これを典拠にして、後ろの二つを「子孫のため」に入れ換えているので、個人的な処世術・・・というとマイナスなイメージを持つかも知れませんので、いまふうにかっこよくいえば、「背伸びをしないオンリーワンな言葉」になっているかも。
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明・洪自誠「菜根譚」前集より。いまふうに考えてよろしいなら、「子孫がいる」ことが前提になっているというだけで、年金や産業や過疎とか考えると社会全体のためになっているのですから、「四為」でなくてもこの「三為」でもいいのかも。もともと、張横渠、ないしは宋代の儒者たちがでかいこといいすぎなんです。士大夫の一人一人が天地や世界の太平とつながっている、というのが彼らの時代精神ではあるのですが。我々の時代精神にはまた別の言葉が要りますよね。
全勝さんは富山県で、職員向けに「でるくい」という雑誌を作ってたそうなんです。全勝さんが考えたかどうか知らんけど、中身も知らんけど、実にいい題名だなあ、と題名だけには感心します。今となっては「でるくい」ももう流行らない時代かも知れませんが。
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