旦奭之美(旦、奭の美)(「後漢書」)
誰かのためにやってるんです、と言わないと、「何でそんなことしてたんだ」と言われた時に答えられませんよね。エンマさまにも訊かれるかも知れん。なので人間には国や主君や会社など、忠節の対象が必要なんだそうです。

現金給付でもらったおカネはあぶく銭だから身に着かないだけよね。
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後漢の終り頃、こんな手紙が遺っています。誰から誰への手紙かわかりますか。
使君与国同規、而舎是弗恤、完然有自取之志、懼非海内企望之意也。
使君は国と同規、しかるに是を舎(す)てて恤(あわれ)まず、完然として自取の志を完うにするは、海内企望の意に非ざるを懼るるなり。
太守どのは、国と方針を同じうするはずのお方、ところがそれを捨てて考えず、にこりとして自分で国を取ってしまえと考えておられるとすれば、天下のひとびとの望む心と離れてしまうことになる、と心配でたまりません。
成湯討桀、称有夏多罪。武王伐紂、曰殷有重罰。
成湯桀を討つに「有夏罪多し」と称す。武王紂を伐つに「殷に重罰有らん」と曰えり。
殷の初代・成湯王は夏の最後の王・桀を討伐するときに「夏の国には罪が多い。討伐が必要だ」と宣伝しなければなりませんでした(「尚書」)。また、周の武王が殷の最後の王・紂を討伐するときには、「殷に重罰が下るぞ」と言わざるを得なかった(「史記」)。
此二王者、雖有聖徳、仮使時無失道之過、無由逼而取也。
この二王なる者は、聖徳有りと雖も、仮使(たとい)時に失道の過ち無くければ、逼りて取るに由無し。
この湯王と武王は聖なる徳をお持ちであったのに、彼らでも、相手方の道を失うような誤まりが無かったら、無理に天下を取ることはできなかったのである。
今主上非有悪於天下、徒以幼小脅於彊臣、異於湯武之時也。
今、主上、天下に悪有るに非ず、いたずらに幼小を以て彊臣に脅やかされ、湯武の時に異なれり。
今現在、皇帝陛下は天下に悪事を為したわけではございません。ただ、まだ御幼少でございますので、剛腕の臣下に脅されており、湯王や武王の置かれた状況とは全く違うのであります。
又聞幼主明智聡敏、有夙成之徳、天下雖未被其恩、咸帰心焉。若輔而興之、則旦奭之美、率土所望也。
また聞く、幼主は明智聡敏にして夙成の徳有り、天下いまだその恩を被らずといえども、咸心を帰す。もし輔してこれを興せば、則ち旦・奭(たん・せき)の美、率土の所望するところなり。
また、最近聞いたところでは、まだ幼い漢の皇帝(献帝)は賢くて聡明だといい、早めに徳を豊かにすることができるのではないか、といいます。天下はまだ幼い帝の御恩に浴してはおりませんが、みんな幼帝さまに心を寄せております。もしこの方を助けて国を再興することができれば、周の武王の卒後、その子・成王を助けて政務を取った周公旦や召公奭(せき)の美しい行動を完成させることができるでしょう。それこそ、国中のあらゆる人々が望んでいることなのです。
「旦」と「奭」は「〇田飴」ではなくて、周公旦と召公奭でした。
使君五世相承、為漢宰輔、栄寵之盛、莫与為比、宜効忠守節、以報王室。
使君は五世相承して漢の宰輔たり、栄寵の盛んなる、ともに比を為すなく、忠に効(なら)い節を守り、以て王室に報ずべし。
太守どののおうちは、ここまで五代続けて漢帝国の宰相や大臣を出しておられる、皇室の寵愛も深い栄えある家、どことも比べることなどできません。代々の祖先にならって忠義を尽くし、正しい対応を外れず、王室にお報い申し上げねばなりません。
ところが、
時人多惑図緯之言、妄牽非類之文、苟以悦主為美、不顧成敗之計、古今所慎、可不熟慮。
時人多く図緯の言に惑い、妄りに非類の文を牽きて、苟(まこと)に主を悦ばすを以て美と為し、成敗の計を顧みざるは古今の慎む所、熟慮せざるべけんや。
現代の浮薄なやつらは、未来を予測するという河図や緯書に書いてあることにだまされ、みだりに立派な経典とは異なる種類の文章を引用し、本当に、主人を気持ちよくさせることだけがいいことだと考えて、将来の成功や失敗を計ることもしないというのは、昔も今も気をつけねばならないところ、じっくり考えてくだされや。
忠言逆耳、駮議致憎。苟有益於尊明、無所致辞。
忠言は耳に逆らい、駮議(はくぎ)は憎しみを致す。苟も尊明に益有らば、辞を致すところ無し。
「駮」(ハク)はまだらの馬。「駮議」は(まだら模様のように)いろんな意見がでる会議、です。
心の籠った言葉は耳には痛く聞こえ、(えらい人への忖度の無い)いろんな意見の出る会議では、反対意見に対して憎しみが湧いてしまう、とも申します。だが、わたくしはそんなことを心配いたしませぬ。かりにも明察なるあなたさまに利益のあるようなことであれば、お話しせざるを得ない、と考えているのでございます。
なので、これも気にくわないかも知れませんね。
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「後漢書」巻七十五「袁術列伝」より。この手紙は、建安の初年に、江東の孫策が袁術に向かって書いたものです。孫策さまは若いし、強いだけの武将かと思ってましたが、文章もわかりやすくていいし、忠義の心が溢れておられるのでございます。
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