名未甚振(名、未だ甚だしくは振るわず)(「唐摭言」)
彼らも有名になりたかったようです。有名になるとモテる、お金持ちになれる、評論家にほめられる、から? お母さんが喜んでくれるから、だったかも!

カレンダー、毎年母の日はやまんばになってしまいます。柳田・折口民俗学の影響で、母性をやまんば的なものと認識しているのだ。子育てケアマネ如何とか、難しいことはわかりません。花火はわかります。うるさいやつですよね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
唐の時代のことです。
白楽天(「楽天」は字で名前は「居易」といいます。天を楽しみ、易きに居る。いいですね。実際はそれぞれ「易」と「中庸」(礼記)に別々の典拠があると言うことですが)が初めて進士の科に挙げられたとき、
名未振、以歌詩謁顧況。
名未だ振るわず、歌詩を以て顧況に謁す。
そんなに有名にはなれてなかったので、詩集を持って顧況のところに面会に行った。
顧況は少し先輩の詩人で、権力者を風刺する詩を作って左遷され、許された後も都には戻らず、茅山に隠棲して「華陽山人」と名乗った・・・のですが、それは後のお話でございます。この当時は著作郎として詔勅作成などに関わり、政治改革を目指す新進の官僚であった。
顧況は白楽天の名刺(板に書きつけて提出します)を見て、
長安百物貴、居大不易。
長安は百物貴なり、居ること大いに易からず。
「(君の名前は「居易」というようだが、)この首都・長安は何でもかんでも物価の高いところじゃぞ。住居するのにたいへん容易でないところだ。(田舎に帰った方がいいんじゃないの?)」
「はあ」
漫画雑誌の編集長に持ち込み原稿を見てもらってる若手漫画家みたいです。
「どれどれ」
白楽天が持ってきた詩集をぱらぱらとめくって、「原上の草を賦し得て、友人を送る」(原っぱの草のことを詩にすることができた、でもって、友を送別する)という詩のところまで来て、
野火焼不尽、春風吹又生。
野火焼くも尽きず、春風吹けばまた生ぜん。
(冬の野焼きの)野火が草原を焼いても何もかもを焼いてしまうわけではない。春の風が吹くころには、また残された種から青い草が生えてくるのだ。(おまえさんは失意のうちに去っていくが、また希望を取り戻すがいい・・・)
というのに目を止めると、「ふう」とため息をついて、言った。
有句如此、居天下有甚難。老夫前言戯之耳。
句のかくの如き有れば、天下に居るも甚(なん)の難きこと有らん。老夫の前言はこれに戯るるのみ。
「これだけの句を作れるのなら、天下のどこにいても、困難なことはない(。居るに易いであろう)。このじじいがさっき言った言葉は、ただのおふざけですじゃよ」
読み切りぐらいは書かせてもらえるかも・・・。
これより五十年ぐらい前のことですが、
李太白始自西蜀至京、名未甚振、因以所業贄謁賀知章。
李太白、始めて西蜀より京に至るも、名いまだ甚だしくは振るわず、因りて業とするところを以て賀知章に贄謁す。
西の方、蜀の地方から、李太白という若者が長安にやってきた。そんなにものすごくは有名でなかったので、これまでに貯めた詩集を見てもらいに、手土産を持って賀知章のところに行った。
賀知章はやはり先輩の詩人、といいますか道教のコスプレみたいなことをして玄宗皇帝お気に入りの文化人でした。
知章騎馬似乗船、眼花落井水底眠。
知章は馬に騎ること船に乗るに似たり、眼は花(かす)み井に落ちなば水底に眠らん。
賀知章じいさんが馬に乗っているのは(酔っぱらっているから)船に乗っているみたいにふらふらだ、
目も朦朧として、どぼんと井戸に落ちてしまったとても、そのまま水底で眠っていることだろう。
(杜甫「飲中八仙の歌」)
と謳われた当時の人気者です。五十年前の人気者と言えば、欽ちゃんみたいな感じでしょうか。
賀知章は、李白の持ってきた詩集の最初の詩、「蜀道難」を一覧して、
揚眉謂之曰、公非人世之人、可不是太白星精耶。
眉を揚げてこれを謂いて曰く、公、人世の人に非ず、これ太白星の精ならざるべけんや、と。
「蜀道難」(蜀への道は困難である)は、
噫吁戯、危乎高哉。蜀道之難難于上青天。
噫吁戯(い・う・き。ああ、と訓ずるしかありません)、危うきかな、高きかな。蜀道の難きは青天に上るよりも難し。
ああ!うう!ぎぎぎ! 危険なんだ! 高いんだ! 蜀に行く道の困難なのは、青い空に昇るより困難である。
天に上るより困難だ、なんてこれまでの詩人は誰も言わなかった、というこのすごい出だしから始まって、確かにすごい詩なんです。すさまじい数の典故を使いつつ、驚くような句が続く。
一夫関に当たるや、万夫も開くなし。
の名言?も入っています。はじめて聞いた時、「イップカン」とか「バンプ」って何だと思いました?
この詩を読んで、賀知章は、
びっくりしたように眉を揚げ(目を見開い)て、李白に向かって言った。
「おまえさんは、人間世界の人間ではない。太白星(現在の金星)の精だ。そうでないことがあろうか」
欽ちゃんに「どーん」とバカ受けもらった感じ・・・かな。
・・・・・・・・・・・・・・・・
五代・王定保「唐摭言」巻七「知己篇」(「見出してくれた」シリーズ)より。やっぱり名前は大事ですね。それにしても、欽ドンとか欽ドコとかもう五十年も前のことなんですね。今となっては何がおもしろかったのか思い出せないぐらいあまりおもしろくなかったような気がするのですが、「欽ちゃんはくどい!」とおふくろが怒ってたなあ。
これは重要そうなんですが、そんなにおもしろいんでしょうか。参考にはならないと思うんですが。
コメントを残す