5月11日 母の日。気楽に生きててすんまへん

名未甚振(名、未だ甚だしくは振るわず)(「唐摭言」)

彼らも有名になりたかったようです。有名になるとモテる、お金持ちになれる、評論家にほめられる、から? お母さんが喜んでくれるから、だったかも!

カレンダー、毎年母の日はやまんばになってしまいます。柳田・折口民俗学の影響で、母性をやまんば的なものと認識しているのだ。子育てケアマネ如何とか、難しいことはわかりません。花火はわかります。うるさいやつですよね。

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唐の時代のことです。

白楽天(「楽天」は字で名前は「居易」といいます。天を楽しみ、易きに居る。いいですね。実際はそれぞれ「易」と「中庸」(礼記)に別々の典拠があると言うことですが)が初めて進士の科に挙げられたとき、

名未振、以歌詩謁顧況。

顧況は少し先輩の詩人で、権力者を風刺する詩を作って左遷され、許された後も都には戻らず、茅山に隠棲して「華陽山人」と名乗った・・・のですが、それは後のお話でございます。この当時は著作郎として詔勅作成などに関わり、政治改革を目指す新進の官僚であった。

顧況は白楽天の名刺(板に書きつけて提出します)を見て、

長安百物貴、居大不易。

「はあ」

漫画雑誌の編集長に持ち込み原稿を見てもらってる若手漫画家みたいです。

「どれどれ」

白楽天が持ってきた詩集をぱらぱらとめくって、「原上の草を賦し得て、友人を送る」(原っぱの草のことを詩にすることができた、でもって、友を送別する)という詩のところまで来て、

野火焼不尽、春風吹又生。

というのに目を止めると、「ふう」とため息をついて、言った。

有句如此、居天下有甚難。老夫前言戯之耳。

読み切りぐらいは書かせてもらえるかも・・・。

これより五十年ぐらい前のことですが、

李太白始自西蜀至京、名未甚振、因以所業贄謁賀知章。

賀知章はやはり先輩の詩人、といいますか道教のコスプレみたいなことをして玄宗皇帝お気に入りの文化人でした。

知章騎馬似乗船、眼花落井水底眠。

(杜甫「飲中八仙の歌」)

と謳われた当時の人気者です。五十年前の人気者と言えば、欽ちゃんみたいな感じでしょうか。

賀知章は、李白の持ってきた詩集の最初の詩、「蜀道難」を一覧して、

揚眉謂之曰、公非人世之人、可不是太白星精耶。

「蜀道難」(蜀への道は困難である)は、

噫吁戯、危乎高哉。蜀道之難難于上青天。

天に上るより困難だ、なんてこれまでの詩人は誰も言わなかった、というこのすごい出だしから始まって、確かにすごい詩なんです。すさまじい数の典故を使いつつ、驚くような句が続く。

一夫関に当たるや、万夫も開くなし。

の名言?も入っています。はじめて聞いた時、「イップカン」とか「バンプ」って何だと思いました?

この詩を読んで、賀知章は、

欽ちゃんに「どーん」とバカ受けもらった感じ・・・かな。

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五代・王定保「唐摭言」巻七「知己篇」(「見出してくれた」シリーズ)より。やっぱり名前は大事ですね。それにしても、欽ドンとか欽ドコとかもう五十年も前のことなんですね。今となっては何がおもしろかったのか思い出せないぐらいあまりおもしろくなかったような気がするのですが、「欽ちゃんはくどい!」とおふくろが怒ってたなあ。

これは重要そうなんですが、そんなにおもしろいんでしょうか。参考にはならないと思うんですが。

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