懶散二字(懶・散の二字)(「呻吟語」)
眠い。だけでなく咳も出るんです。もうダメだ。

きみ、なんとかしたほうがいいと思うよ。
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最近また体重も増えてくる一方です。ほんとに何とかしないと・・・ということで、呻吟しております。ああ苦しいなあ。これも懶・散だからです。
懶散二字、立身之賊也。千徳万業、日怠廃而無成、千罪万悪、日横恣而無制。皆此二字為之。
懶・散二字は、立身の賊なり。千徳万業も日に怠廃して成すなく、千罪万悪も日に横恣して制するなきは、みなこの二字のこれを為すなり。
「やる気がない」と「散漫である」の二つの語は、ひとかどの人間として独立していくに当たって、盗賊のようにマイナスに働く。千の徳、万の仕事を進めていたのに、日々にサボり、やめてしまって何もできなくなったり、千の罪、万の悪をしながら、日々に横車を押しコントロールできなくなったりするのは、すべてこの二つの語のせいなのである。
西晋讐礼法而楽豪放、病本正在此。安肆日偸。安肆懶散之謂也。
西晋の礼法に讐し、而して豪放を楽しむは、病もとまさにここに在り。安肆(あんし)日に偸しむ。安肆は懶散の謂いなり。
西晋は、清談で亡びたといわれます。竹林の七賢らが活躍した時代であった。
西晋時代のひとびとは、礼による束縛に挑みかかり、豪放を楽しんだが、その欠点はまさにここ(懶と散)にある。ひとびとは安楽にして好き放題に、毎日楽しくやっていたのだが、安楽にして好き放題であるということは、すなわち「やる気無く散漫だ」ということと同じなのだ。
此聖賢之大戒也。
これ、聖賢の大戒なり。
これ(この二語)こそ、いにしえより聖人賢者たちが、絶対に避けなければならないと教えられたことなのだ。
甚麼降伏得此二字。曰勤慎、勤慎者敬之謂也。
甚麼(いんも)にせばこの二字を降伏し得ん。日に勤慎せよ。勤慎なるものは敬の謂いなり。
「甚麼」は文語の「如何」(いかん)です。
どうすればこの二語を克服してやっつけられるだろうか。それは、毎日毎日をマジメに勤勉に務めることだ。マジメに勤勉というのは、結局「敬」(つつしむ)というのと同じことだ。
なんだそうです。
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明・呂坤「呻吟語」より。眠くて呻吟していますが、さらに風邪薬飲んだら一段すごい眠気が来ています・・・が、がんばるのだ・・・・・
がんばっていると必ず見ててほめてくれる人がいるとのこと。奥さんも。こういう現場あんまり見聞しないので、これはいい参考資料になるかも。
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