学者之嵬(学者の嵬(かい)なる)(「荀子」)
「学者」をアカデミシャンと理解して、「おれとは関係ない」と思ってはいけません。この「学者」は、なんらかの知識をつけて諸侯や会社に就職しようとしている者、あるいはそれに成功して就職した者、と考えるといいと思います。

わしら忍者は忍法によって何日間も眠くなることができるのじゃ。(健康に何日間も眠るのではありません。眠くなる、のです)
・・・・・・・・・・・・・・・・
吾語汝学者之嵬容。
吾、汝に学者の嵬容を語らん。
「嵬」(かい)はもともと高くそびえて上が平らな地形、をいうそうですが、ひとを形容して、「奇怪だ」「だらしない、くずれている」といった意味に用います。
わしは、今からお前に、知識階級のやつらのだらしなさを教えてやろう。
其冠絻、其纓禁緩、其容簡連、填填然、狄狄然、莫莫然、規規然、瞿瞿然、尽尽然、盱盱然。
その冠は絻、その纓は禁緩、その容は簡連、填填然(てんてんぜん)たり、狄狄然(てきてきぜん)たり、莫莫然(ばくばくぜん)たり、規規然(ききぜん)たり、瞿瞿然(くくぜん)たり、尽尽然たり、盱盱然(くくぜん)たり。
「絻」(べん)は「俛」と同じく、だらんと垂れる、の意。纓は冠のあごひも、「禁」は帯の事だそうです。あとたくさん形容詞が出てきますが、いちいち意味をたどると面倒なので、がんがん意訳していきます。
やつらの冠はだらんと垂れ、あごひもは帯紐のように緩んでおり、その見た目はえらそう。のそのそし、こせこせし、黙って口を利かず、きょろきょろし、おどおどし、いばっており、一点を見つめて人の目を見るこたがない。
酒食声色之中、瞞瞞然、冥冥然。
酒食声色の中には、瞞瞞然(まんまんぜん)たり、冥冥然(めいめいぜん)たり。
酒やごちそう、歌や女という世界に入ると、まわりを誤魔化し、自分のことには目をつむり、できるだけ手に入れようとする。
礼節中、則疾疾然、訾訾然。
礼節中には、則ち疾疾然(しつしつぜん)たり、訾訾然(ししぜんたり。
礼節を守るべき場では、小さくせこせこと動き、人の動きを批判がましくじろじろ見ている。
労苦事業之中、則慮慮然、離離然。
労苦の事業の中には、すなわち慮慮然(りょりょぜん)たり、離離然(りりぜん)たり。
仕事で疲労する時には、心配でならなかったり、手を抜いて人に押し付けだ。
偸儒而罔、無廉恥而忍譏訽、是学者之嵬也。
偸儒(ようだ)として罔(くら)く、廉恥無くして譏訽を忍ぶは、これ学者の嵬なり。
なまけてだらだらして先の見通しは立てず、恥ずかしげもなく、また批判も耳を通り過ぎるばかりだ。こんなのが、知識階級のだらしないやつらだ。
彼君子則不然。佚而不惰、労而不漫。宗原応変、曲得其宜。如是然後聖人也。
彼の君子はすなわち然らず。佚にして惰ならず、労にして漫ならず。原を宗とし変に応じ、曲げてその宜しきを得。かくの如くして然る後聖人なり。
我々が目指す「君子」(立派なひと)というのはそうではない。ひまそうにしているのだがさぼらない、疲れているようなのだがいい加減にはしない。根本を大切にし、その上で変化に対応しようとしている。うまく変化をつけてみんながいい状態になれるように努めているのだ。こんなふうにしていけば、われわれはいつか(孔子や聖徳太子のような)聖人になれるだろう。
聖人というものは、生まれつきではなく、努力してなることができるのだ、と荀子が発見したんです。すごいことです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「荀子」非十二子篇より。「非十二子」とは「十二人の先生とその学派を否定する」の意。「十二子」とは、、它囂(たごう)、魏牟(ぎぼう)、陳列、史鰌(ししゅう)、墨翟(ぼくてき。墨子のことです)、宋銒(そうけん)、慎到(しんとう)、田駢(でんべん)、恵施(けいし。荘子の友人の名家)、鄧析(とうせき)、子思(しし。孔子の孫)、孟舸(もうか。孟子です)の十二人。子思や孟子のようなバリバリの儒者もいます。みんなだらしないんでしょう。君子になってほしいものですね。
だらしなくならないように踏みとどまる勇気も必要だ・・・と思ってマジメに読んでいたのに、最後に肝冷齋のプライバシーを暴かれるとは! でもどうみても花畑にしか見えませんよね。
コメントを残す