友人親聞之(友人親しくこれを聞く)(「池北偶談」)
連休が明けるなどと言っているひとがいるんですが、ほんとでしょうか? もう出勤するのは無理になっております。本体は何十年か前に脱け出しており、会社で生きてきたのは「ぬけがら」であると思われる。「ぬけがら」にしてはよくやったではありませんか。もうそろそろ解放してやらねば・・・。

毛むくじゃら軍団にゃー。
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清の時代のことです。
遼東地方に医無閭山という山があるそうなのですが、この山中で、
有人斸参。
人の参を斸(ほ)る有り。
野生の人参を掘っていたひとがいた。
その人が、たまたま
見毛人長丈許。驚而却走。
毛人の長(たけ)丈許(ばか)りなるを見る。驚いて却って走らんとす。
全身に毛の生えた、身のたけ一丈ぐらいもある人間らしいものを見かけた。向こうが却ってびっくりして、逃げ出そうとした。
人参堀りの人は年寄で、たいていのことにはもう驚かなくなっていて、手振りで彼を招き、危害を与える意図の無いことを伝えた。
すると、「毛人」がなまりのひどいことばで言うには、
吾非妖魅、乃秦時築長城卒。昔同輩数万人、今僅七人在耳。
吾は妖魅に非ず、すなわち秦時の長城を築くの卒なり。昔、同輩数万人なるも、今わずかに七人在るのみなり。
「おらは妖怪や山の精霊ではないのですだ。紀元前3世紀の秦の時代に、万里の長城建築に徴発されて、そのまま逃亡した一般人ですたい。むかしは同じような仲間が数万人いたのずらが、今ではたった七人になってしまいましてのう・・・」
「どうやって生き延びて来られたのじゃ?」
始飢食松柏、渇飲渓水。久之不復飢渇矣。
始め飢えて松柏を食らい、渇して渓水を飲む。これを久しくしてまた飢渇せずなりぬ。
「はじめは腹が減っては松やカシワの葉や枝を食い、咽喉が渇いたときには谷川の水を飲んでいましたけん。そんな生活をずっと続けていたところ、今ではもう食べ物も飲み物も要らなくなってしまいましたさかいに」
「それはそれは・・・。人間世界のものが懐かしくはござらぬか」
と、老人が持ってきた自分の食べ物を与えようと弁当箱を開いたところ、その中身を見て「✕✕✕!」と何やら叫んで、
去如飛鳥。
去ること飛鳥の如し。
鳥が飛び立つかのように、あっという間に逃げて行ってしまった。
―――ちょっと待ってください。秦の時代って、何年前だと思っているのか・・・。
と、清の時代のわたしが訊いてみましたところ、
友人某親聞之宜中丞永貴云。
友人某、これを宜中丞永貴に親しく聞けりと云う。
友人の某が、中丞(の官職にあったから信用できる)宜永貴に、自分みずから聞いた話だということだ。
というのですから、これは信憑性高そうですね。時の政権に見捨てられた者が突然変異を起こして過酷な状況下で生き延びることがある、ということは、二十世紀の科学の時代においても、ウルトラマンにおけるジャミラの存在によって証明されています。
また、四川の巴山の山中には、
有白髯叟、採樵者嘗見之、自云唐時人。
白髯の叟有り、採樵者嘗てこれに見ゆるに、自から云う、唐時の人なり、と。
白いヒゲの老人が現れることがある。薪木取りに行った人がこの老人と出会ったとき、老人の方から、「わしは唐代の人間じゃ」と言ったのだそうである、
これは岳石齋に教えてもらったのだ。
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清・王士禎「池北偶談」より。岳石齋が言っているなら、これまた信憑性高いでしょう。王士禎先生ほどの方が、先週も信じていたぐらいですから。
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