出牛背上(牛背の上に出づ)(「世説新語」)
「9と1が取れてなぜ0が取れないのだ!」と、秋田のSさん頭に来たかも知れませんが(ウソですよ)、どんなことがあっても、怒ってはいけないんです。しかし、怒らないようにしててもムリしてそうしている、とバレてはいけないんです。いつもニコニコ、秋田のSさん。いつもニコニコ肝冷庵。うーん、難しいですね。

おいらは、いつもニコニコ雷坊主だ。ニコニコしてないと誰を狙っているかバレてしまうから、いつもニコニコして、きみを狙ってるかもよ。うっしっし。
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三世紀末、西晋の終りごろのことですが、当時、清談の名手といわれてたいへん人気のあった貴公子・王衍は、
嘗属族人事、経時未行。
嘗て族人に事を属せるに、経時すれどもいまだ行われず。
ある時、親戚のおじさんに頼み事をしたのだが、だいぶん経ってもやってくれなかった。
遇於一処飲燕、因語之曰近属尊事、那得不行。
一処に遇して飲燕するに、因りてこれに語りて曰く、「近く尊に事を属するに、那(な)んぞ得て行わざるや」と。
そのうち、一族が集まって宴会することがあったので、王衍はそのおじさんに言った、
「この間、あなたに例のことをお願いしましたよね。それで、どうなすった? どうしてまだお出来にならない?」
言い方にむっと来たのでしょう、
「なんじゃと!」
族人大怒、便挙樏擲其面。
族人大いに怒り、すなわち樏(るい)を挙げてその面に擲(なげう)つ。
「樏」(るい)は木製の「重箱」です。
親戚のおじさんは、えらく怒りだして、突然、重箱を持ち上げると(その中身を)王衍の顔めがけて投げつけた。
料理を頭からかぶった。
親戚の人は怒って行ってしまいました。
王衍は、
都無言、盥洗畢、牽王導臂、与共載去。
すべて無言、盥洗畢(おわ)り、王導の臂を牽きて、共に載せて去る。
この間ずっと無言で、たらいに水を入れてもらってそれで顔を洗うと、従兄弟世代の王導を見つけて、その腕を引っ張って牛車に同乗させた。
王導はなすがままに乗せられた。
在車中照鏡、語導曰、汝看我眼光、迺出牛背上。
車中に在りて鏡に照らし、導に語りて曰く、「汝、我が眼光を看よ、迺(すなわ)ち牛背の上に出でん」と。
牛車の中で、王衍は鏡を取り出してそれで自分の顔をみながら、王導に語り掛けて言った、
「あなた、よく見ておいてくださいよ、わたしの目の光、まっすぐに牛の背中の上を見ているでしょう。(感情的になってあちこち向いたりしていないわけです。その証人になってくださいね)」
と。王導は言いなりになって頷いていたということである。
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南朝宋・劉義慶「世説新語」雅量第六より。王衍はその後、いろんな人から期待され、西晋の末に八王の乱の中で丞相となりますが、匈奴族に捕らえられ、「あなたにも亡国の一因があろう」と指摘されて、反論できずに殺されてしまいます。一方、王導の方は建康に逃れ、同様に逃れてきた皇族の司馬睿(元帝)を助けて、亡命貴族、軍閥、江南の地元の貴族たち、さらに南海からやってきた仏教徒らをも取り込んで、調整型の名宰相として、ついに東晋の建国の功臣となった。このお話、まことに「雅量」があったのは誰であったか、うまく出来ているような、出来過ぎているような。
久しぶりで日録が「投稿」できました。普段は一枚目は「固定ページ」にしかならなくて、二枚目から「投稿」できたのに。いったいどういう仕組みなのであろうか。むかむかむか、頭きたー・・・となりませんように。
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