皆着衣裳(皆、衣裳を着せり)(「風俗通」)
衣(い)は上半身に着るトップス、裳(しょう)は下半身に着けるスカート型のボトムです。

ほれほれ、わしは先駆者なのじゃ。
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ずっと昔のこと(紀元前2000年ごろ?)でございますが、
禹入裸国、欣起而解裳。
禹、裸国に入り、欣起して裳を解く。
禹は「はだか王国」に行って、大よろこびしてスカートを脱いだ。
その開放感を思ってにやにやしてしまう人もいるかも知れませんが、目くじらを立てるひともいるのでしょう。でもT〇局はみんなやってる? あがいてももうマスメディアはおしまいかも。
これは、禹が開放感のためにやっていることではなかったのです。
禹治洪水、乃播入裸国。君子入俗不改其恒。于是欣然而解裳也。※
禹、洪水を治め、すなわち裸国に播入す。君子は俗に入りてはその恒を改めず。ここにおいて欣然として裳を解くなり。
禹は、舜帝の命を受けて中原を侵す洪水を治めるために家にも帰らずに働いていたが、あるとき、土木工事をしながら「はだか王国」に入ったのだった。「よき人は、非文明的な習慣のあるところに行っても、そのいつもの風習を(無理に)変えたりしない」といわれるとおり、禹もそのとき、よろこんで(いやいやではなく)スカートを脱いだのである。
パンツいっちょうになったのです。確かに、パンツいっちょうで真夏にこんなところに入ったら気持ちいいかも知れません。奥さんに怒られそうですが。
※このあとに
「原其所以、当言皆裳。」(その所以を原(たず)ぬるに、まさにみな裳と言うべし。)
その原因を考えて見ると、みんな「スカート」であったと考えられる。
という文章があるのですが、何かの欠文があるようで意味が通らないので省略します。異様にスカートに興味を持った、という意味だと考えると、現代人的にはなんとなくにやにやしてしまうのですが、違うでしょう。
裸国、今呉郡是也。被髪文身、裸以為飾、蓋正朔所不及也。
裸国は、今の呉郡なり。被髪文身し、裸して以て飾と為し、けだし正朔の及ばざるところなり。
はだか王国は、現代(漢の時代)の呉郡(浙江省)のことである。当時のその国のひとびとは、ざんばら髪で入れ墨をし、はだかこそかっこいい、と考えていた。なんといっても、中原の正朔(一年のはじめと一か月のはじめ、すなわち「こよみ」)というものが伝わっていないようなところだったのだ。
この人たちこそ、「三国志」(東夷伝)によれば、わたくしども倭人の祖先とされる方々です。ただし、現代の研究では、DNA的には遼東あたりから来たグループが多数のようですが。
「はだか王国」の人たちにとっては、中原からお見えになられた文化的指導者の「禹」は先進国から来たビートルズのように見えたことでしょう。ついに、
猥見大聖之君、悦禹文徳、欣然皆着衣裳矣。
猥りに大聖の君を見、禹の文徳を悦び、欣然としてみな衣裳を着せり。
思いもかけず大聖人の(後に)君主(となるお方)を目にし、禹の文明的な徳に気持ちよくなり、よろこんで服とスカートを着けるようになったのである。
文明開化してよかったです。
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漢・応劭「風俗通」(「太平御覧」巻696所引)より。今は散佚した部分ですが、宋代の百科事典みたいな本である「太平御覧」に引用されて遺ったもの。おもしろいのでメモされた、みたいな感じでしょうか。肝冷庵は各地で調査を行っていますが、こんなすばらしいところはまだ発見できていません。単に「はだかの王国がある」なら「そういうところもあるだろう」ですが、みんなが文明に感激して服を着てくれるのが感心感心。・・・ところで、もしかして、みなさんは、自分が禹の方だと思っていたりする?
なお、今日のネット情報では、ロンドンでパンツもスカートも着けずに地下鉄に乗る運動、というのをやっているそうです。さすがは先進してるぜ。
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