令和7年1月調査報告(神津島)

1月18日(日) ・・・ 神津島に行ってきました。平成20年ごろに来たことがある(既報告・散佚済み)のですが、その時は式内社(神津島には2か所)と歴史資料館に強い興味を持っている時代だったので、当時は登るだけエネルギーの無駄だ!ぐらいに思っていた天上山に、今回は登ってみよう、と思います。

〇式内・物忌名神社 ・・・ 名をいうことをはばかるモノ(モノノケなど怪異なるをいう)というカッコいい名前のミコトをお祀りしております。コトシロヌシの御子という。もう一つの式内社は今回はお参りしません。土砂崩れでやられた本殿が修築されたらしいのでいずれお参りしたいと思いますが。

本殿は江戸時代末のものです。赤瓦でかっこいい。

かつお漁を再現する奇祭が行われる境内。

〇神津島村歴史資料館 ・・・ 以前来たとき以降に表側に新館が出来ています。

これは旧館側の展示。こんな感じだった。二階には島の歴史家やおたあジュリアの関係資料が。いろいろ思い出しました。新館で増えたのは、ビデオ2か所だけでは。

〇ほうそうさま ・・・おにぎり買って登り口に行く途中にありました。

島はどこも信仰篤いですね。

〇天上山登り口 ・・・ 黒島口から登ります。きついけどしろうとでも何とかなるぎりぎりのレベル、といわれるので大丈夫なはず。

語、五合目まで、な、なんとか来た・・・これはきつい。

〇10合目手前の「おろしゃ石塁」 ・・・ 文政期の人手によるものという。

こんなの人力ではムリ・・・と思いましたが、後で出て来る「治山工事跡」を見て「できる」と確信しました。

〇千代池 ・・・ 旧火口で、春秋の雨季には水が出るらしいです。

こちらからは近づけませんでしたが、別のところから回りこめました。

〇裏砂漠 ・・・ ここに来てみたかったんです。想像どおりすばらしい。

これは実際は途中の道。裏砂漠すばらしいんですが、写真撮ってもわたしのカメラでは白いもの、光っているものは撮れないんです。

裏砂漠の近くにある「裏砂漠展望地」。秖苗島(ただなえじま)が見えます。その向こうに、三宅と御蔵も少し。

〇東京新名所・伊豆の島

式根、新島、利島、大島が見えます。新島も大島も二つに見えるからめんどうです。

〇天空の丘 360度視界、ということでしたが、南側の海が少し見えない。

よく見える北側は上と同じように見えてしまいますね。

〇不動池 ・・・ 信仰地で、雨ごい祀りなども行われたという。

池の真ん中の島が至聖所らしく、入ってはいけないらしい。こちらの鳥居の右手の石造りの神殿から拝む。

不動池から数十メートルのところに「不動尊」の石像が祀られています。近くに「雨ごい地跡」もありました。

〇ばばが池 ・・・ ばばあが参った説は否定されて「ばば」になっているようです。

ここも雨季になると池になるようです。色が悪いのはカメラの能力のせいです。

〇不入カ沢 ・・・ 「はいらないが沢」と読ませるようです。古い火口群で、神集島の「水配り」伝説の神さま集合地に比定される。

向こうに海が見えます。この先は断崖で、それを縫って白島口の登山道があります。このあとそちらから降りる予定。その前に、最高点などを窮める。

〇治山工事跡 ・・・ 標高500メートルの断崖上に、昭和の間、数十年にわたって山崩れを防ぐために人力で作られた治山工事の跡。平成年間にここから崩落。

左手に向けて一気に崩落しています。

〇最高点 ・・・ なんとか到着。風が強い。

かなりこわいです。物理的に。

〇神社 ・・・ 最高点と表砂漠の間にあります。

無事に昇らせていただき、ありがたいです。

〇表砂漠 ・・・ 裏砂漠の方が少し規模大きいかも。

これぐらい翳ってくれるとわたしのカメラでも撮れる。

〇白島登山口を帰る。こちらも野趣満点。

四合目まで降りてきました。鳥居の額をみると「不動尊」が信仰の本来の対象であることがわかります。

〇那智殿 ・・・ 熊野信仰に関わり、如意輪観音等の石像が収められる。

森の中で日が暮れてきて大変でした。ここも普通にはコワい感じなんですが、島の人がちゃんと信仰しているのでいい雰囲気です。次は昼間に来たい。

〇温泉まで歩いて行ったのでたいへん疲れましたが、帰り道の星がすごかった。久しぶりにこんなに星を見ました。さすがに「全島プラネタリウム」と名乗るだけあります。次は島内の百観音めぐりたいですね。一部崩落等でムリみたいですが。

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