赤米白塩(赤米と白塩)(「何氏語林」)
寒いですね。冬の野菜が出回っているころだろう。麓の町の市場に行ってみるか。

カロリーの高いものを食べた後は、適度に運動
(A)するといいよ。
(B)しなければならない。
(C)諦めてじっとする。
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南朝の斉の時代、周顒(しゅう・ぎょう)字・彦倫は汝南のひとで、
清貧寡欲、終日常蔬食、雖有妻子、独処山舎。
清貧にして寡欲、終日常に蔬食し、妻子有りといえども独り山舎に処る。
清貧にして欲少なく、いつも一日中野菜ばかり食っていて、女房子供もあるのだが、(贅沢に慣れてしまわないよう)一人で山荘で暮らしていた。
野菜高くなってきました。「どういうことだ、怪しからん」と、他のものも高くなってきているんで野菜にだけ怒ってもしようがないんですが、野菜ばかり食べている人は困るでしょう。
王倹は父が功臣・王僧綽であったが、父が暗殺された後、叔父に育てられ、
数歳、爵侯、拝受茅土、流涕嗚咽。幼有神彩。専心篤学、手不釈巻。(南斉書・本伝)
数歳にして侯を爵し、茅土を拝受して、流涕嗚咽す。幼くして神彩有り。専心篤学にして手に巻を釈かず。
数歳の幼い時に(父の功績で)侯爵に命じられ、封建の儀式に使う茅と土を押し頂いたまま(父のことを懐かしんで)涙を流し声を上げて悲しんだ。かように、若いころからいろいろ気が付き、心を集中させて儒学の勉強をしていた。心を学問に集中させて、四六時中、手から書物を放すことがないほどであった。
という立派な人です。
この人が、ある時、散歩の途中に出会った周顒に訊いた。
卿山中何所食。
卿、山中には何の食らうところぞ。
「先生、山の中には何か食い物はあるのですか?」
質素な生活を羨んで訊いたのでしょう。
「いや、実はなかなか贅沢しておりましてな」
周顒は答えて言った、
赤米、白塩、緑葵、紫参。
赤米、白塩、緑葵、紫参なり。
「赤みの強い古代米、白い塩、緑の水草・葵、それに深い紅の人参、いろとりどりの食事でござる」
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明・何良俊編「何氏語林」巻四言語第二より。色がぴかぴかの食べ物が美味かったら毒がある、は人類始まって以来の公式です・・・が、この場合、ひとつひとつがあんまり旨そうではないので毒は無いのでしょう。こういうのだけを「食べなければならない」と思っていたら、それはかつ丼食べたくなりますよ。清麻呂よりこちらの方が気になりました。
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