不得証之(これを証するを得ず)(「右台仙館筆記」)
寒波も地震も注意しなければなりません。それなのに、また明日会社やる、というんです。もしかしたらカキストクラシーなのかも。

おれたち、いつでも待ってるぜ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
清の末に近いころですが、杭州に汪子余というひとがおりました。
彼のおやじは役人として四川に赴任していましたが、死後、全く財産というものを遺さなかった。子余もまた病気がちで、若いころにきちんと学ばなかったので、
読書纔通句読而已。能画花草、亦不工也。婚冠之年、因循不娶、遂無妻子。
読書纔かに句読に通ずるのみ。能く花草を画くもまた工ならず。婚冠の年も因循して娶らず、遂に妻子無し。
古典書物については読み方がわかる、というところまでしか出来なかった。植物画が描けたが、上手、というほどもなかった。結婚したり成人式をしたりする年齢になってもぐずぐずとして婚姻しなかったから、結局妻も子も無かった。
母方の唐棲の姚氏の一族が気の毒がって、その家に引き取って、幼い子供たちに四書の手ほどきをさせたので、子余は姚氏の家で世話になった。
初不言断葷血、然居姚氏十許年、葷血之物従未見其一沾唇也。
初め、葷血(くんけつ)を断ずると言わず、然るに姚氏に居ること十許年、葷血の物はいまだその一たびも沾唇するを見ざるによる。
彼は、一度も、にんにく類となまぐさ物は食べない、と言ったことはないのだが、姚氏に世話になっていた十年ばかりの間に、彼がにんにく類やなまぐさ物を口にしたのを見たことは、一度も無かったのだった。
いつも精進しているみたいなんです。
無事輒入小室趺坐、遇庚申日、則坐終日不出。
事無ければすなわち小室に入りて趺坐し、庚申の日に遇えば、坐して終日出でず。
何も用事の無い時は、常に小さな部屋に入って座禅を組んでいる。道教の物忌みの日である庚申(かのえ・さる)の日になると、座ったままで、一日中外に出て来なかった。
なんだか自分に似ている、と思うひともいるかも知れません。
姚氏使常一傭者伴之、坐至丙夜、傭見窗外一黒影大如席、懼而従後戸出。自此不復肯与偕、然子余固無恙也。
姚氏、常に一傭者をしてこれに伴わしむるに、坐して丙夜に至り、傭、窗外に一黒影の大いさ席の如きを見、懼れて後戸より出づ。これよりまた肯えてともに偕せず、然るに子余はもとより恙(つつが)無し。
姚氏は人を一人雇って、いつも子余の身の回りの世話をさせていたが、ある晩、子余と一緒に部屋に入って座っていたところ、深夜(「丙夜」は三更、午前零時~一時ごろ)になったころ、この雇用者は、窗の外に、座布団ぐらいの大きさの黒い影が現れたのを見て、怖くなって非常口から逃げ出した。これからは、もう夜中一緒に部屋にいて世話をしようとはしなくなったが、しかるに、子余の方は何も変わったことは無かった。
咸豊十年(1860)、杭州は太平天国軍の攻撃を受けて落城した。姚氏一族は事前から郊外に避難していたのだが、
子余実陥於城中。
子余は城中において実陥す。
子余は町中に残ってしまっていて、実際に陥落の場に立ち会った。
ところが、
従容乗間脱出、従姚氏避難。
従容として間に乗じて脱出し、姚氏に従いて避難せり。
ふらりと太平軍のすきに乗じて脱出し、姚氏のところに来て一緒に避難生活を送ったのであった。
この避難中に、
一日忽自盥沐、易新布衣、向姚氏言別、遂趺坐而逝。年纔四十余耳。
一日、忽ち自ら盥沐し、新たな布衣に易え、姚氏に向かいて別れを言い、遂に趺坐して逝けり。年、わずかに四十余なるのみ。
ある日、突然、自分で行水を使うと、新しい服に着替え、姚氏の主人のところに来て「別れのあいさつ」をした。そして、座禅を組んだまま、死んでしまったのである。年齢はまだ四十いくつかであった。
姚氏買棺殯之、舁而置諸野。
姚氏、棺を買いてこれを殯し、舁きてこれを野に置く。
姚氏は棺桶を買ってきて彼を仮に葬り、棺桶をかついで郊外の野原に置いておいた。
やがて、
乱平、議遷葬之、迷失其棺、竟不可得。
乱平らぎ、これを遷葬せんと議するに、その棺を迷失し、ついに得べからず。
反乱が落ち着いたので、きちんと葬ろうということにしたが、棺桶をどこに置いたかわからなくなってしまい、とうとう発見できなかったのであった。
わたし(筆者)は思うに、
此子大似得道者。
この子、大いに得道者に似たり。
このひとは、道を得た人(道教の悟りを開いた仙人候補)であったような気が、すごくする。
道を得た者は、「尸解」(しかい。死んだふりをして仙界に行ってしまうこと)して仙人になることがあり、
其棺或甚軽、発視或僅存其衣、或化為一竹杖。惜不得其棺而証之也。
その棺あるいは甚だ軽く、発視するにあるいは僅かにその衣を存し、あるいは化して一竹杖と為る。惜しむらくは、その棺を得てこれを証せざることを。
その場合、その人の棺桶は非常に軽くなるので、不思議に思って棺桶を開けてみると、時には衣服だけが遺っていたり、時には一本の竹の杖だけが遺されていたりする。残念なことには、棺桶が見つからないので、この人がそうなったかどうか、確認ができないのである。
・・・・・・・・・・・・・・・
清・兪樾「右台仙館筆記」巻十より。筆者がかなり科学的な人だということがわかります。子余が仙人になったかどうか確認できそうだったのに、実物が無くなってしまったとは惜しいことをしました。こういう系統のお話、たくさんご紹介してきましたが、ここまで真実に迫ったのは初めてかも知れません。
やる気が徹底的に出ない、昼間は眠い、など、インフルエンザだと思うので明日は休みたい、と思うのですが、咳も熱も出ないし、体調悪くならないし、確認が出来なくて困っています。今日は昼も晩もちゃんとしたものを食べた(天草丼おいしうございました)ので、おなかが驚いたようでなんとなく痛い、と言うしかないかも。
コメントを残す