1月13日 もうダメだ。なのに出勤とは

不得証之(これを証するを得ず)(「右台仙館筆記」)

寒波も地震も注意しなければなりません。それなのに、また明日会社やる、というんです。もしかしたらカキストクラシーなのかも。

おれたち、いつでも待ってるぜ。

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清の末に近いころですが、杭州に汪子余というひとがおりました。

彼のおやじは役人として四川に赴任していましたが、死後、全く財産というものを遺さなかった。子余もまた病気がちで、若いころにきちんと学ばなかったので、

読書纔通句読而已。能画花草、亦不工也。婚冠之年、因循不娶、遂無妻子。

母方の唐棲の姚氏の一族が気の毒がって、その家に引き取って、幼い子供たちに四書の手ほどきをさせたので、子余は姚氏の家で世話になった。

初不言断葷血、然居姚氏十許年、葷血之物従未見其一沾唇也。

いつも精進しているみたいなんです。

無事輒入小室趺坐、遇庚申日、則坐終日不出。

なんだか自分に似ている、と思うひともいるかも知れません。

姚氏使常一傭者伴之、坐至丙夜、傭見窗外一黒影大如席、懼而従後戸出。自此不復肯与偕、然子余固無恙也。

咸豊十年(1860)、杭州は太平天国軍の攻撃を受けて落城した。姚氏一族は事前から郊外に避難していたのだが、

子余実陥於城中。

ところが、

従容乗間脱出、従姚氏避難。

この避難中に、

一日忽自盥沐、易新布衣、向姚氏言別、遂趺坐而逝。年纔四十余耳。

姚氏買棺殯之、舁而置諸野。

やがて、

乱平、議遷葬之、迷失其棺、竟不可得。

わたし(筆者)は思うに、

此子大似得道者。

道を得た者は、「尸解」(しかい。死んだふりをして仙界に行ってしまうこと)して仙人になることがあり、

其棺或甚軽、発視或僅存其衣、或化為一竹杖。惜不得其棺而証之也。

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清・兪樾「右台仙館筆記」巻十より。筆者がかなり科学的な人だということがわかります。子余が仙人になったかどうか確認できそうだったのに、実物が無くなってしまったとは惜しいことをしました。こういう系統のお話、たくさんご紹介してきましたが、ここまで真実に迫ったのは初めてかも知れません。
やる気が徹底的に出ない、昼間は眠い、など、インフルエンザだと思うので明日は休みたい、と思うのですが、咳も熱も出ないし、体調悪くならないし、確認が出来なくて困っています。今日は昼も晩もちゃんとしたものを食べた(天草丼おいしうございました)ので、おなかが驚いたようでなんとなく痛い、と言うしかないかも。

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