殺狗磔門(狗を殺して門に磔(たく)す)(「風俗通」)
「磔」(たく)の字は、「桀」(けつ)に「石」偏が付く。「舛」(せん)は右左が互い違いに背いた足の姿で、鳥の足の象形ともいいます。これを「木」に載せた「桀」は鳥の足が木の上にある「止まり木」の意、とも、木にばらばらにされた足を掛ける刑罰(はりつけ刑)の意とも言う。
我が国では「磔」で「はりつけ刑」を意味しますが、チャイナでは「桀」が逆さはりつけで、それに更に「拆く」の意味を持つ「石」偏が付いているので、ドウブツ(人間含む)を「ばらばらにして門などにはりつけ、それによって「悪いモノ」の入るのを防ぐ儀礼」のことを指します。

「てめえらが、まずやられてこい」とイヌが言い
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以上のめんどくさい解説を踏まえて、チャイナ古代の春先に行われた
殺狗磔邑四門。
狗を殺して邑の四門に磔(たく)す。
イヌを殺してばらばらにして、町の四方の門に張り付ける。
という儀礼について解説します。
俗説、狗別賓主、善守御、故著四門、以辟盗賊也。
俗に説くに、狗は賓主を別し、善く守御す、故に四門に著(つ)けて、以て盗賊を辟(さ)くなり。
一般には、イヌはご主人とよその人を区別するし、家を守るのが得意である。なので、四方の門に(ばらばらにして)張り付けて、盗賊が入って来ないようにまじないするのである、と言われる。
謹按。
謹んで按ず。
慎重に考えてみました。
この説は間違っている。うっかり信じてはダメダメである。
「礼記」月令篇には、春の行事として、
九門磔禳、以畢春気。
九門に磔禳(たくじょう)して、以て春気を畢す。
九つの門に(イヌを)ばらばらにして張り付けて、これによって春の気がこれ以上増えないようにお祓いするのである。
と書いてある。注意しなければならないのは、
天子之城十有二門。
天子の城は十有二門なり。
(「礼記」が問題にしているのは周の王城のことであり、)周の王さまのお城には、十二の門がある。
ということである。12-9=3、ですから、あと三つの門があります。
東方三門、生気之門也、不欲使死物見于生門、故独于九門殺狗磔禳。
東方の三門は生気の門なり、死物をして生門に見えしむるを欲せず、故に独り九門にのみ狗を殺して磔禳す。
実は、東方に三つの門が開かれており、東方は「生の気分」が入ってくる方向だから、この三つの門は「生の気分」の門である。その「生の門」に死んだモノを晒し物にするのが(周の王さまは)イヤなので、そこで、残りの北・西・南の九門にだけ殺したイヌをばらばらにして張り付けるおまじないをしたわけなのである。
だいたいですな、
犬者、金畜。禳者、却也。抑金使不害春時之所生、令万物遂成其性。
犬なるものは金畜なり。禳は却なり。金を抑えて春時の生ずるところを害さざらしめ、万物をしてその性を遂成せしむるなり。
イヌは「金属的なドウブツ」です。「禳」(はらう)とは、「しりぞける」ということです。つまり、(イヌでお祓いする、とは、イヌの性質を発出させるためなのではなく、)「金属(刀剣)を殺(抑制する)して、春の季節に生まれてきた生命を損なわないようにする」、つまり、イヌを退治して、あらゆる物に(成長しようという)本性を成し遂げさせよう、ということなのです。
これに加えて、
火当受而長之、故曰以畢春気。功成而退、木行終也。
火まさに受けてこれに長ずべく、故に曰く、「以て春気を畢す」と。功成りて退くは、木行の終りなり。
万物は、春・木→夏・火→秋・金→冬・水の「行」(性質、ぐらいの意味でしょうか)で順繰りに回っていく、土行だけは全ての季節を通じて影響を及ぼしている、という「五行」思想を前提にしないとわけがわかりませんが、前提にしたところで現代の賢い我われには理解しずらいと思いますが、ガマンしましょう。
(次の季節に向けて、「夏」の)「火」の性質を成長させてやらなければなりませんから、春の「木」を制御する秋の「金」のドウブツによって、「春の気分を終わらせる」のだというわけです。成功したら退いて次の季節に譲っていく、のは、「木」の性質の完成である。
「史記」封禅書にいう、秦は徳公(在位前677~676)の時、いずれ子孫が中原に進出することが出来るように、と、雍の地に都を定めたが、その時、
始殺狗磔邑四門、以御蠱菑。
始めて狗を殺して邑の四門に磔し、以て蠱菑(こ・し)を御す。
史上はじめて、イヌを犠牲獣にして、都市の四方の門に、ばらばらにして張り付けた。これによって、魔物たちのわざわいを防御しようとしたのである。
と書いてあります。
今人殺白犬以血題門戸、正月白犬血辟除不祥、取法于此也。
今人の白犬を殺して血を以て門戸に「正月、白犬の血、不祥を辟除す」と題するは、法をこれに取るなり。
現代人が、正月に、白いイヌを殺して、その血で門の扉に、「正月だ、白犬の血でイヤなことを避け除く」と書きつけるのは、この秦の古い儀式に則っているわけである。
つまり、イヌが主人と他人を見分けるから、というような子どもっぽい議論ではなく、五行説に基づいた科学的な行動なのである。
ちなみに、この「現代人」は後漢の時代のひとのことです。みなさんのことではありません。
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漢・応劭「風俗通」祀典・第八より。うーん、勉強になった。大昔のまちづくりです。現代のまちづくりは重要なので若い人が学べばいいが、もうこれからどんどん老いてもうろくして行かねばならないというのに、こんなに賢くなってしまってはいけません、というぐらい勉強しました。知識をどんどん詰め込んでしまったので、頭蓋骨が「ぎし、ぎし」と不気味な音を立て始めています。寒いし、そろそろハレツするかも。
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