1月12日(日) ・・・ 本日は、新子安から川崎まで、東海道を歩いてみます。日射しは無かったけど暖かくてよかったです。
〇生麦 ・・・ 新子安で肉豆腐定食食って調査開始。

トマトケチャップ発祥の地。ここのお百姓さんが、開港地で作っている玉ねぎ、トマトなどの他の新しい野菜のタネを植えて栽培に成功したんだそうです。

生麦事件の碑。撰文は中村敬宇。日本は文明開化して外人殺したりしないから、力査帑(リチャード)くん、君はあの世で笑いたまえ、とか書いてあります。事件発生場所はもう少し江戸寄りにあります。

原西の神社(神明社)。ヘビの藁人形(人ではないが)を作って、海岸から流す「蛇も蚊も」(じゃもかも)祭で名高い。昭和46年刊の現代の風土記「日本の民俗 神奈川県」にも書いてあった。こちらがメスヘビ?

生麦事件発生地。この掲示板見ていたひとに知ったような解説したら、ずっと詳しかったので恥ずかしかったが、あと三十年も若かったら〇にたいぐらい恥ずかしかったと思うけど、今は多くの経験を積んでいるのですぐに立ち直った。

原東の道念稲荷さま。こちらが「蛇も蚊も祭」のオス?むかしは両社のヘビがぶつかって揉めていたそうですが、今は全く別に祭をしているようです。
〇鶴見 ・・・ 生麦から鶴見へと旧東海道を歩いていますが、すぐ横を並行する国道15号(第二京浜)沿いと違って、まったくの生活道路です。狭い路地もあり、ネコが横切るなど、ほんの50年前までは道路でメンコ(わたしの田舎では「カード」です。「メンコ」は放送禁止系の言葉だからな)やレースカハースカや野球してた道だと思います。機械系の工場(造船所も)だとか総菜屋さんだとかかなり年期入ってはるでー。

道端のお寺の入り口にあったお地蔵さんだが、年号を見たら慶安五年。さすがに東海道は古いですね。

首都圏のローカル線として名高い南武線支線(芝浦線)の、これまた名高い廃墟系の名所・JR国道駅ガード下。カメラが安いので感光しすぎですが、もっと昼なお暗く、まさに「小便臭い」路地で、若い女性が通るだけでヤバイ感じです。つい最近までアパートにもなっていたらしいのですが、今日みたかぎりではもう住民いないようです。すばらしい近代遺産ですが、心の無いJRが取り壊してくるかも知れませんので、興味のある人は早く見に行こう。ちなみに「国道」(こくどう)は国道15号線(むかしの1号線)をまたいだところにあるから名づけられました。

鶴見神社です。駅前の立地ですが、京急線・東海道線に削られた古墳から遷座した浅間さんとか、三島由紀夫・森田必勝を祀った神社とか、貝塚跡もあります。三島さん関係と思われる団体も見えてて緊張感ありました。

鶴見橋西の「鶴見関門」。開港後、特に生麦事件などを受けて、江戸方面から危険なテロリスト(伊藤俊輔とか渋沢栄一みたいな)が入らないように設けられた関門の一つ。

市場の一里塚。市場は地名です。

市場の熊野社にあった「添田知通寿蔵碑」。篆額は松方正義。ここは明治六年に出来た市場小学校跡でもあります。
〇川崎宿

松尾芭蕉句碑。このあたりは麦で有名だったそうで、そんなことを句にしてます。すみません、「麦の穂を(なんとかかんとか)別れかな」しか覚えていません。

川崎市電通り、小土呂橋の親柱。
もう午後四時になってきたので、冬場はこのあたりで切り上げます。活動開始時間が遅い(12時に家を出た)ので、予定どおりぐらいは来れた。次は川崎駅から開始やで。
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