与君共飲(君と共に飲まん)(「世説新語」)
お酒飲まさなくても大丈夫でも、飯食わさなかったら怒ってきますよ。一般に。

でぶになるまで飲め牛乳
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西晋の時代のことですが、
王戎弱冠詣阮籍、時劉公栄在坐。
王戎、弱冠にして阮籍に詣るに、時に劉公栄坐に在り。
王戎は二十歳のころ、阮籍のところに面会に行った。ちょうど座に劉公栄もいた。
阮籍は竹林七賢の筆頭扱いのひと、王戎も竹林七賢に挙げられますが、後に出世して司徒(副宰相クラス)にまでなった。劉公栄というひとは阮籍の友人なのですが、七賢には入っていません。なお、「弱冠」は二十歳をいいますが、実際はこの時、王戎はまだ十代半ばぐらいの少年だったようです。
阮籍は、王戎を一目みて、自分と同じような屈託と晦渋と自由への憧れのようなものを感じたのでしょう、王戎に向かって言った、
偶有二斗美酒、当与君共飲、彼公栄者無預焉。
たまたま二斗の美酒有り、まさに君とともに飲むべく、彼の公栄なる者は預る無し。
「ちょうど二斗のいい酒がある。これから君と一緒に飲もう。そこの公栄なんかには参加させない」
一斗は十升、現代では一升が1.8リットルですから、
ええー! 36リットルも二人で呑むッ? しかも未成年者に強要?
と、昭和の時代なら万国びっくりショー的に、現代ならコンプライアンス的に驚いてしまいますが、晋代の一升は約0.2リットルで、現代の十分の一です。
また、当時のお酒は現代と違って醸造技術が悪いので、度数が低かったと想像されていますので、「二斗の美酒」といっても、4リットルのビールぐらい、と思ってください。大した量ですが、普通の酒飲み野郎なら飲めないことはない・・・でしょう。酒量集約的にも度数集約的にも飲めそうです。
二人交觴酬酢、公栄遂不得一杯。而言語談戯、三人無異。
二人觴を交し酬酢(しゅうさく)するに、公栄遂に一杯も得ず。而るに、言語談戯して三人異なる無し。
二人はさかずきを交わし、差しつ差されつしたが、劉公栄にはホントに一杯も飲まさなかった。しかしながら、話をしふざけ合って、三人の間に特段違和感は無かった。
劉公栄がゲコだった、というとわかりやすいのですが、彼は誰とでも酒を飲むというので有名な人なので、ゲコではありません。
なお、「酬」(しゅう)は主人が客に注ぐこと、「酢」(さく)は客が主人に注ぐことです。「酢」は料理サシスセソの「す」を意味する時には「ソ」と読みます。「酢酸」はほんとは「ソサン」なんですが、明治の人が慣用で「サクサン」と読んだようです。
なんでそんなイジメみたいなことするんでしょうか。
或有問之者。
或るいはこれを問う者有り。
ある人が、なぜそんなことをするのか、訊いた。
阮籍は「はて」と首を捻っていたが、やがて答えて言った、
勝公栄者、不得不与飲酒、不如公栄者、不可不与飲酒。唯公栄、可不与飲酒。
公栄に勝る者は、ともに飲酒せざるを得ず、公栄に如かざる者は、ともに飲酒せざるべからず。ただ公栄のみ、ともに飲酒せざるべきなり。
「公栄より上等のやつと会うと、一緒に酒を飲まないではいられない。公栄より下等なやつと会うと、一緒に酒でも飲んでいないではやってられない。ちょうど公栄だけが、一緒に酒を飲まないでいられるのだな」
と。
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六朝宋・劉義慶「世説新語」簡傲第二十四より。実は一番気に入ってるんだ、と言っているような気もします。しませんか。なお、篇名の「簡傲」は「飾り気なしに威張る」ぐらいの意味だと思います。誰に威張っているのか。
以下、無用のことながら、漢文部分と読み下し部分は重複と考えて除くと、「酢酸」の話とか要らんことも含めて、これで1000字ちょっとですから、劉義慶の実力では700~800字ぐらいでしょう。彼が現代に来たら、6800字は大変ですね。
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