令和7年1月調査報告(東京大仏)

1月11日(土) ・・・ 赤塚の東京大仏へ。

長野出身の悟三上人が昭和52年に建立、開眼したそうです。上人は昭和62年に満百歳で遷化されたそうですから、わたしが東京に出てきたころにはまだご在世であられたのだ。今日は功績碑を読んできましたが、明治の貧農の子で、小学校以上の勉強をするためにはお寺に入るしかなかったそうです。住持していた寺が首都高速建設のために大部分を削られたので、すでに八十近かったが、一念発起してこの赤坂城二の丸あとの地に大仏さまを作った。金銅大仏としては、当時、奈良・鎌倉に次ぐ第三位であったとのこと。奈良・鎌倉を超えないように作るところがゆかしいではありませんか。

赤坂城本丸跡で炭水化物弁当を使う。板橋区立美術館を覗こうかと思ったのですが、人気のかっこいいやつをやっていて行列が出来ていたのでやめときました。

戸田で悪いネコを退治しないといけないので忙しいんです。

虐待やめろにゃー。

うわー、もう悪いことしませんにゃー。

いつもの二匹を退治。これ以外のネコが見つかりません。他のえさやりボランティアの人に訊くと、とにかくカラスが狙うので(上の二枚の退治中も頭の上すぐ近くでカラスが何羽も舞っていました。エサやりのひとが置きエサすると狙うらしいですが、ネコも転がっているとやられるかも。一緒に転がっていると人間も?)、離れたところに避難したんではないかとのことです。

この左手の方が上の二匹の縄張りなのですが、確かにここらへんまで来るとカラスがいません。カラスもエサないから大変です。

明日はネコ退治無しで。

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