1月9日 中華食って帰ってきてPC前でひと眠り

唯有蒲葵扇(ただ蒲葵扇有るのみ)(「智嚢」)

暖房無いので部屋の中でもぶかぶかに厚着しているのですが、居眠りすると寒いですね。
服は冬はぶかぶか、夏はハダカでいいのであって、流行を追うということは、誰かに操られているということだと考えねばならない。

おれたちいのししには、服なんか要らないのでぶー。

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東晋の四世紀末ころのことですが、

謝安之郷人有罷官還者詣安。

安問其帰資。答曰、唯有蒲葵扇五万。

「ふーん・・・」

安乃取一中者捉之、士庶競市、価遂数倍。

その人はこれを売り払って、帰郷することができたのである。

ある人、謝安の機知をほめたたえたところ、謝安は言った、

此即王丞相之故智。

東晋初期の丞相で、建国の功臣である王導は、西晋末期の八王の乱を避け、洛陽から長江を越えて建業(今の南京)に逃れてきた。そこで同じく華北を逃れてきた東晋の元帝とともに新しい国造りを開始した(建武元年(317))のだが、資金が無い。

「困ったな」「困りましたね」

建業の官庫を開いてみたが、

帑蔵空竭、惟有練数千端。

練り絹は糸を煮込んで光沢を出してから織り上げた絹で、高級品ですが、嵩張るので持ち逃げされていなかったのでしょう。一端は二十尺、当時の一尺≒24センチぐらい、ですから、一端は5メートル弱。簡単な服が一着できるぐらい。

「これはありがたい」「どうするつもりだ?」

丞相与朝賢共制練布単衣。一時士人翕然競服、練遂踊貴。

「翕」(きゅう)は「鳥がいっせいに飛び立つ様子」です。みんなで押し寄せるように行動することを言います。

乃令主者買之、毎端至一金。

一金がいくらだと言われると困るのですが、十万円ぐらいと考えて、数千端で数十億円です。これぐらいで国が出来る、遠いむかしのことでございました。

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明・馮夢龍「智嚢」繆数巻十四より。明の大文豪・馮夢龍が古今の知恵者たちの故事や民間のとんち話などを集めた「ちえぶくろ」です。あらゆる知恵が詰まっているので、これさえ読んでおけばどんな状況にも対処できるはず・・・。

現在、我が国の財政は危機状況だそうです。だが、誰か知恵者が解決してくれるに違いありません。ああよかった。もし解決できる知恵者がいなかったらどうするか? 心配ありません・・・よね?

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