1月7日 限りある時間なので大切にしましょう

知老之佚(老の佚なるを知る)(「列子」)

昨日、今日と二日も生きていたので憊(つか)れました。どんどん年を取ってくるので、昨年末まで昇れた階段も何度も立ち止まってしまう始末。急に弱ってきました。これはほんとにヤバイかも。

お先に絶滅するかも。

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春秋の時代のことでございますが、

子貢倦於学、告仲尼、曰、願有所息。

仲尼(孔子を字で呼び続けています。失礼だ)は言った、

生無所息。

がーん! これはショックです。我ら民衆は、生きている限りはこき使われるのか。

然、則賜息無所乎。

孔子はお答えになった、

有焉耳。

「え? どこに?」

望其壙、睾如也、宰如也、墳如也、鬲如也。則知所息矣。

「なるほど」
子貢は言った、

大哉死乎。君子息焉、小人伏焉

仲尼は言った、

賜、汝知之矣。

人胥知生之楽、未知生之苦。知老之憊、未知老之佚。知死之悪、未知死之息也。

最後のは孔子もまだ知らなかったと思います。この時は。今は知っているでしょう。

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「列子」天瑞篇より。「列子」という本は先秦時代のいろんな説話や噂話を集めて来て、無思想に突っ込んだ本です。このお話も仏教の影響とか孔子にも諦念があったのかとか、難しいことは何も考えてないと思います。とにかく、「孔子を「仲尼」と字(あざな)で呼んで楽しい」「生きているのは苦しいことだと言えて楽しい」「年を取ってきて楽(らく)できて楽しい」「死んだら楽しい(はず)だから楽しい」など、とにかく楽しいだけでしょう。もしかしたら、古代の霊薬でラリって楽しんでいるのかも、というぐらい。だから、六朝時代の偽書だと言われながら、今でもとても人気のある本です。

思うに、日本人には会議は「休息の場」になるんだと思います。会議が終わると、まためんどくさい上司やうるさい部下がいて居眠りもできない自分の係に帰らなければいけない。会議が終わらないで欲しい、と思うのも当然であろう。

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