知老之佚(老の佚なるを知る)(「列子」)
昨日、今日と二日も生きていたので憊(つか)れました。どんどん年を取ってくるので、昨年末まで昇れた階段も何度も立ち止まってしまう始末。急に弱ってきました。これはほんとにヤバイかも。

お先に絶滅するかも。
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春秋の時代のことでございますが、
子貢倦於学、告仲尼、曰、願有所息。
子貢、学に倦みて、仲尼(ちゅうじ)に告げて曰く、「願わくば息うところの有らんことを」と。
孔子の弟子の子貢が、勉強に疲れて、先生の仲尼(孔子を字で呼んでいます。たいへん失礼なことです)に向かって言った、「わたしには、どこか休むところが必要です」と。
仲尼(孔子を字で呼び続けています。失礼だ)は言った、
生無所息。
生くるに息うところ無し。
「生きている間には休むところなんか、無いぞ」
がーん! これはショックです。我ら民衆は、生きている限りはこき使われるのか。
然、則賜息無所乎。
然れば、賜(し)は息うに所無きか。
「ということは、賜(し。子貢の名)には休むところは無いのですか」
孔子はお答えになった、
有焉耳。
有るのみ。
「有るに決まっている」
「え? どこに?」
望其壙、睾如也、宰如也、墳如也、鬲如也。則知所息矣。
その壙を望めば、睾如(こう・じょ)たり、宰如たり、墳如たり、鬲如(れき・じょ)たり。すなわち息うところを知らん。
あの(墓の)穴のところを見てごらんなさい。(睾丸のように)まるく盛り上がっているだろう、(食べ物を分けたあとのように)ひろびろとしているだろう、お墓らしくうず高くなっているだろう、煮炊き用の器・鬲(れき)のように奥深くなっているだろう。さあ、これでお前の休むところがわかったじゃろう。
「なるほど」
子貢は言った、
大哉死乎。君子息焉、小人伏焉
大なるかな、死や。君子は息い、小人は伏す。
でかいものですね、死というやつは。よき君子はそこでようやく休む。だが、つまらぬやつは(死が通り過ぎて行ってくれないかと)伏し隠れるのです。
仲尼は言った、
賜、汝知之矣。
賜(し)、汝これを知れり。
賜(し。子貢の名前)よ、おまえもわかったようじゃな。
人胥知生之楽、未知生之苦。知老之憊、未知老之佚。知死之悪、未知死之息也。
人はみな生の楽しきを知るも、いまだ生の苦しきを知らず。老いの憊(つかる)るを知るも、老いの佚なるを知らず。死の悪(にく)まるるを知るも、いまだ死の息いなるを知らざるなり。
世の中のみなさんは、生きることは楽しいことだと思い込んでいて、生きることが苦しいことだと気づいていない。老いると体が弱って疲れはてると思い込んでいて、老いると心は楽になることに気づいていない。死ぬことはイヤなことだと思い込んでいて、死は休息だということに気づいていない。
最後のは孔子もまだ知らなかったと思います。この時は。今は知っているでしょう。
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「列子」天瑞篇より。「列子」という本は先秦時代のいろんな説話や噂話を集めて来て、無思想に突っ込んだ本です。このお話も仏教の影響とか孔子にも諦念があったのかとか、難しいことは何も考えてないと思います。とにかく、「孔子を「仲尼」と字(あざな)で呼んで楽しい」「生きているのは苦しいことだと言えて楽しい」「年を取ってきて楽(らく)できて楽しい」「死んだら楽しい(はず)だから楽しい」など、とにかく楽しいだけでしょう。もしかしたら、古代の霊薬でラリって楽しんでいるのかも、というぐらい。だから、六朝時代の偽書だと言われながら、今でもとても人気のある本です。
思うに、日本人には会議は「休息の場」になるんだと思います。会議が終わると、まためんどくさい上司やうるさい部下がいて居眠りもできない自分の係に帰らなければいけない。会議が終わらないで欲しい、と思うのも当然であろう。
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