姑少待之(しばらくこれを少待せよ)(「宋名臣言行録」)
明日からまた会社が!!!!!
うわー!!!!!
とパニックになっている人も多いかと思いますが、肝冷庵は隠棲して富士山などの霞を食っているのでそんなことはありません。うっしっし。ゆとりがありますので、みなさんの支えになるようなお話でもしてみましょう。

ウマくやったら左ウマで出世コースに乗れるカモ?
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北宋の名臣・杜衍(慶暦四年(1044)に宰相になりますが、その地位にいたのは百日程度で、反対派に引きずり降ろされたそうです)が吏部審官(人事局文官選考委員長、みたいな役職です)の職にあったときのことじゃ。なお、以下、「吏」は古典チャイナ特有の「身分」で「官」とは違って・・・という説明をし始めると面倒くさいので、「担当者」とか「吏員」と書きますので、「あまり異動のない下っぱ役人だろう、わははは」ぐらいの軽い気持ちで読んでください。
一日、選者三人、争某闕。公以問吏、吏受丙賕、対曰、当与甲。
一日、選者三人、某闕を争う。公以て吏に問うに、吏は丙の賕(まいない)を受け、対して曰く「甲に与うべし」と。
ある時、三人の候補者(甲・乙・丙)がいて、ある職の欠員を争うことになった。(三人とも強く希望しているようなので、)公(杜衍さま)は担当の吏員に「おまえさんはどう思う?」と訊いてみた。
この吏員は三人のうち丙から付け届けをもらっていたのだが、彼の答えは、
「甲どのが適切でしょう」
と言うのであった。
そこで、甲を任命する方針にした。そのことは吏を通じて乙と丙にも知らされた。
乙不能争、遂授他闕。
乙、争う能わず、遂に他闕を授けらる。
乙は不服を述べることもできず、結局ほかの欠員に回された。
居数日、吏教丙訟甲負某事、不当得。
居ること数日、吏、丙に「甲は某事を負えれば、得るべからず」と訟えしむ。
しばらくしてから、その吏員は丙に入れ知恵して、「甲どのには〇〇の問題(おそらく、甲の親族あたりが当該職と利害関係にある、というようなこと)があるはずです。その職にお就きになられるのは如何かと存じますが」と異議を申し立てさせた。
これを聞いた杜衍は、
「なるほどなあ、うんうん」
とうなずきました。
公悟、召乙、問之。乙謝曰、業已得他闕、不願争。
公悟り、乙を召してこれに問う。乙謝して曰く、「業已(すで)に他闕を得、争うを願わず」と。
杜衍は、何が起こっているのかだいたい分かったので、(丙ではなく、)まず乙を呼んでまだ当該職を希望するかどうか訊ねた。乙は「すでに他のところで職をいただきました。いまさらもうお一方と争う気はありません」と断った。
「まあそうだよなあ」
公不得已、与丙。
公、已むを得ずして丙に与う。
公は、仕方ないので丙にその職を与えた。
而笑曰、此非吏罪、乃吾未知銓法爾。
而して笑いて曰く、「これ吏の罪にあらず、すなわち吾のいまだ銓法(せんぽう)を知らざるのみ」と。
「銓法」は「銓事」(せんじ)すなわち「文官の人事」の仕来たり、仕組みのことです。
その時、笑って言った。
「いやいや、吏員のやつには何の責任もない。彼は請われたとおりにやっただけだ。わしが人事の「やり方」をよく理解していなかったせいじゃよ」
そして、早速、すべての部署に命じてそれぞれの所管する法規や先例を持って来させた。
問曰、尽乎。曰、尽矣。
問いて曰く、「尽くせるか」と。曰く、「尽くせり」と。
各部署の担当者に訊いた。「これで全部だな?」と。
担当者たちは答えた。「これで全部です」と。
杜衍は全ての文書を夜通し見ていたが、
明日勅諸吏、無得昇堂、使坐聴行文書爾已。
明日、諸吏に勅して、堂に昇るを得る無く、坐して文書を行うを聴(ゆる)すのみならしむ。
翌日、各部署の担当者に対して、今後は自分の執務室に来ることを禁止し、それぞれの部署での文書の作成と成文の執達だけをするよう命じた。
案文を持ってくれば、杜衍ひとりで結論を出し、文書にして指示する、それで間違いが無いようすべての法規と先例は頭に入った、お前らの助けは要らんのじゃ、ということである。
由是、吏不得与銓事、与奪一出於公。
これにより、吏は銓事に与かるを得ず、与奪は一に公に出づ。
これによって、担当吏員は人事の実質に関わることができなくなり、任命も失職もすべて公一人で決めることになったのである。
「やられましたなあ」「しばらく実入りが減りますな」「どのおえら方もここまでやってくれれば、こちらも楽といえば楽だが」
其在審官、有以賕求官者、吏謝不受。
その審官に在るには、賕を以て官を求むる者有りても、吏は謝して受けず。
公が審査委員長の職にある間は、官職を求めて付け届けを持ってくる者がいても、担当者は断って受けなかった。
そして、断りながらこう言った、
我公有賢名、不久見用去矣。姑少待之。
我が公には賢名有れば、久しからずして用いられて去らん。しばらくこれを少待せよ。
「うちのおやじさんはよく出来ると有名ですからね。そのうち、もっと重要なポストに用いられて去ってしまわれるでしょうから、しばらくしてから、また来てください」
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南宋・朱晦庵編「宋名臣言行録」より(北宋・欧陽脩「杜正献公墓誌」に拠るという)。明日からは、こんな感じで行きましょう。杜衍の方か、吏の方か、はたまた賕を持って行く方か、は、ご自分で選択いただいて結構です。
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