1月5日 明日出勤のひとも多いと思います

姑少待之(しばらくこれを少待せよ)(「宋名臣言行録」)

明日からまた会社が!!!!!

とパニックになっている人も多いかと思いますが、肝冷庵は隠棲して富士山などの霞を食っているのでそんなことはありません。うっしっし。ゆとりがありますので、みなさんの支えになるようなお話でもしてみましょう。

ウマくやったら左ウマで出世コースに乗れるカモ?

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北宋の名臣・杜衍(慶暦四年(1044)に宰相になりますが、その地位にいたのは百日程度で、反対派に引きずり降ろされたそうです)が吏部審官(人事局文官選考委員長、みたいな役職です)の職にあったときのことじゃ。なお、以下、「吏」は古典チャイナ特有の「身分」で「官」とは違って・・・という説明をし始めると面倒くさいので、「担当者」とか「吏員」と書きますので、「あまり異動のない下っぱ役人だろう、わははは」ぐらいの軽い気持ちで読んでください。

一日、選者三人、争某闕。公以問吏、吏受丙賕、対曰、当与甲。

そこで、甲を任命する方針にした。そのことは吏を通じて乙と丙にも知らされた。

乙不能争、遂授他闕。

居数日、吏教丙訟甲負某事、不当得。

これを聞いた杜衍は、
「なるほどなあ、うんうん」
とうなずきました。

公悟、召乙、問之。乙謝曰、業已得他闕、不願争。

「まあそうだよなあ」

公不得已、与丙。

而笑曰、此非吏罪、乃吾未知銓法爾。

「銓法」は「銓事」(せんじ)すなわち「文官の人事」の仕来たり、仕組みのことです。

そして、早速、すべての部署に命じてそれぞれの所管する法規や先例を持って来させた。

問曰、尽乎。曰、尽矣。

杜衍は全ての文書を夜通し見ていたが、

明日勅諸吏、無得昇堂、使坐聴行文書爾已。

案文を持ってくれば、杜衍ひとりで結論を出し、文書にして指示する、それで間違いが無いようすべての法規と先例は頭に入った、お前らの助けは要らんのじゃ、ということである。

由是、吏不得与銓事、与奪一出於公。

「やられましたなあ」「しばらく実入りが減りますな」「どのおえら方もここまでやってくれれば、こちらも楽といえば楽だが」

其在審官、有以賕求官者、吏謝不受。

そして、断りながらこう言った、

我公有賢名、不久見用去矣。姑少待之。

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南宋・朱晦庵編「宋名臣言行録」より(北宋・欧陽脩「杜正献公墓誌」に拠るという)。明日からは、こんな感じで行きましょう。杜衍の方か、吏の方か、はたまた賕を持って行く方か、は、ご自分で選択いただいて結構です。

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